2007年12月30日日曜日

来年こそ改めたいこと

昨日の日経新聞・プラス1に特集記事で「来年こそ改めたいこと」という記事が載っていた。

「日経生活モニター」で「なんとか改めたいと思っているにも関わらず、なかなか改まらない、直らないこと」というアンケートの回答(有効回答3572)を集計したところ、上位は以下のような回答だったという。

1. 整理整頓や部屋のかたづけができない
2. ダイエットや運動など、飽きっぽくて長続きしない。
3. やるべきことを先送りする。
4. 一日の時間の使い方が下手
5. 物が捨てられない。
(以下略)

うーん。すべて自分にもあてはまる。私の場合、若い頃を振り返ってみると、20年前も、30年前も同じようなことを考えていたような気がする。

特に3.はリタイア後は時間があり余るほどあるので、あまり感じなくなったが、仕事をしていたときは面倒なことは先延ばしにしてしまい、余計に状況を悪化したということがよくあった。山のように仕事をかかえると、重要度より緊急度を優先してしまい、後でよく反省したものだ。私にとっては「今は昔」の物語ではあるが・・。

この記事では、それぞれの項目の内容を延々と解説している。肝心の解決策は?というと、最後にひと言、専門家の意見が掲載されている。

東京えびすさまクリニック院長(精神科医)は「まずは腰をあげる。小さな改善でも『できた』という達成感を積み重ねると、改善の意欲を持続させやすい」ということだ。

竹に節があるように、年末・年始は時間の区切りにいちばんふさわしい時。私も過去、正月のたびに何度も「自分の行動を反省し、目標を作る」ことをよくした。大体は3日坊主に終わったことが多いが、反省をしたことは意識に残り、長年のうちには多少の向上には役立っているようにも思う。
こんな程度では、私のような劣等生が優等生には変わらないのだが、それでも箱根のスイッチバックの列車が少しずつは登るように、少しずつは進歩したとは思う。周囲から「自己満足!」という声が聞こえてきそうだが・・。

今年も今日と明日を残すのみとなりました。今年の記事は今日を最後にしたいと思います。今年1年当ブログをご訪問戴き、ありがとうございました。来年もよろしくお願い致します。

どうぞよいお年を・・・。

2007年12月28日金曜日

薬害肝炎問題

薬害肝炎問題は自分と病気は違うが、薬の怖さの点ではひと事とは思えない。この問題は単なる副作用ではなくて、本当の薬害。止血のために使った薬が肝炎→肝硬変→肝癌になるなんて、患者にとってはたまったものではない。患者には何の罪も落ち度もないのに、一生を棒に振るのだから、当然国と製薬会社は患者に救済をするべきだ。

ようやく「一律全員救済」の方針が固まって胸をなでおろした。福田総理も原告団に謝罪もした。途中では総理の煮え切らない態度にやきもきしたが、支持率急降下で考え直したのだろう。そういう意味では国民の声なき声が応援したといえると思う。

とりあえず肝炎患者の救済について一段落して、法制化の段階だが、国の責任問題がどう盛り込まれるかが次の課題だ。

この問題は実にひどい話だ。薬害問題はこの肝炎だけに限らない。どうして次々に同じ過ちを繰り返すのか?いつもその場限りの処置をして恒久対策を講じないからに他ならない。この際、国の責任を明文化して、2度と再発をさせないというシステムを完成させてもらえばうれしいのだが、お役所は反省しているようには思えないのが気懸りだ。

薬には副作用はつきものだし、新開発の薬には常に危険が伴う。この薬害について許せないのは、アメリカではその危険性が判明して使用中止にしたのに、厚生省と製薬会社はなぜその情報を知りながら、アクションを起こさなかったのか?ということだろう。政府とお役所の不作為の罪は大きい。それにアメリカは日本にその薬を売り続けたということはアメリカの国民には危険でも、日本人なら安全とでもいうのだろうか?

薬害肝炎関連のニュースが流れると、いつも登場する福田衣里子さん、肝炎のサイトを見ていたら、たまたま彼女のことを書いたサイト(こちら)にぶつかった。

患者側から今に至る経過が書かれていて興味深い。
初代の厚生労働大臣だった坂口力議員や当時の厚生労働大臣柳沢厚労相はじめ、たくさんの代議士にも、お役人にもたくさん会って協力を訴えているようだ。彼女が言った以下の言葉が政治家のリップサービス振りを示していて腹立たしい。

【他にも多くの国会議員の方にお願いを続けていますが、与党の議員さんは「個人的には同情するが、立場上は動けない」とおっしゃる方が多いです。「立場」ってなんだろうなって……国民を苦しみから救ってくれるのが、議員さんの「立場」じゃないのかなって、少し悲しくなります。】

2007年12月26日水曜日

理髪店

今年も残すところ片手で数えられる日数になった。時間は同じように流れているのだが、暮れは何となくせわしなく感じるから不思議だ。

暮れといっても何か特別なことをするわけではないが、年内に理髪店に行ってさっぱりしておくのも昔からの習慣だ。私の場合は若い頃から着るものも調髪もあまり関心がない。周囲に不快感をもたれない程度であればよいという考え方なので、理髪店にもあまりこだわりはない。

最近、近所に理髪店が新装開店した。全国に428店舗を展開する全国チェーン店のようだ。散歩コースにあることもあって、今日は試しにそこへ行ってみた。

理髪用の椅子が6脚、洗髪用の椅子が3脚、従業員が6名。店は明るくきれいだし、なかなか感じが良い店だった。理容師さんも最近まで自分で店をやっていたようなベテラン揃いに見えた。だから技術もしっかりしているのだろう。そしてその料金にびっくり、何と1,575円だという。「頭洗いますか?」と聞くので頼んだら、それが210円、合計で1,785円(税込)。今までの一般の店の半分以下だった。

比較的大きな都市には大分前から価格破壊の理髪店が登場したが、私の住むこんな田舎町にまでこの種の理髪店できたことに時代の変化を感じる。

以前は一般に「床屋」と呼ばれる理髪店は組合という横のつながりが強力な商売だった。価格も一律、休日も一緒、値上げも一緒・・・全く無風な商売に見えた。ビジネスモデルで1時間当たりの手間賃を考えるとき、床屋の料金を考えればよい等ともいわれていた。

今日行った店は設備もサービスも技術も一般の理髪店と変わらない、それで価格が半分・・・利用者はありがたいが、これでは一般の理髪店も大変だろうと感じたものだった。私の若い頃は休日には何時間も待たされても、じっと漫画を見て順番を待ったものだ。それが過当競争から価格破壊と変化が激しい業界になったようだ。大都市ではカットのみ1,000円という店もあると聞いたが、一方でテレビに出演しているような人は何万円の理髪店に行くと聞く。

自由競争で選択肢があるのはよいことだが、資本のない小売業は成り立たない時代になったようだ。

2007年12月24日月曜日

娘の結婚

今年、我が家の1年を振り返ると、闘病生活の中にもうれしいニュースがあった。それは長女の結婚だった。

我が家は夫婦と娘2人の4人家族。次女は3年前に長女より一足早く結婚して横浜に住んでいる。初孫も昨年誕生し、ご主人がうれしい配慮をしてくれて、時々老夫婦を慰めるために娘と孫を帰省をさせてくれる。

長女は我々の年代が考える適齢期を過ぎているので、本人は放っておいてほしいだろうが、両親にとってはまるで喉につかえた小骨のように、気懸りだった。家内が娘と電話をするたびに同じ質問と愚痴をこぼすため、いつもお定まりの喧嘩で終わるということになって、電話さえ遠のくという始末だった。

今年の初めだったか、突然娘から結婚を考えている人がいるという話を聞いたときは、すぐ我が家への招待を促したものだ。娘は東京のある旅行会社に勤務しているが、お相手は仕事でいつも顔を合わせる航空会社の営業マンということだった。そして、ことは順調に運んで、11月22日「良い夫婦の日」に結婚・入籍をした。親としては子供の結婚はひとつの区切り。親の責任が開放され、肩の荷が下りる時。子供の巣立ちはうれしくもあり、さびしくもあり・・複雑な心境ではあるが、ひと安心という気持がいちばん強い。

今から40年くらい前だっただろうか、よくラジオで聞いた曲に「谷間に3つの鐘が鳴る」という大ヒット曲があった。
小さな村の教会の鐘は村びとの「誕生のとき」「結婚のとき」「死を迎えたとき」の3回、鐘の音が響き渡る・・一人の青年の一生を歌った歌だったように思う。アメリカの田舎の小さな村の情景が目に浮かぶようで好きな歌だった。

娘がその村に育てば、ようやく2度目の鐘を鳴らすことができたということになる。生まれれば、一つ目の鐘は誰にでも鳴る。3つ目もいずれかは誰にでも鐘を鳴らすときは来る。2つ目の鐘は最近は鳴らさない人も多いし、逆に何度も鳴らす人もいる。幸せな人間の一生、できれば順調に3回の鐘を鳴らすのがよい。

娘には平凡でも暖かくて幸せな家庭を築いてもらいたい。世間の父親は娘を嫁に出すときは誰でも寂しさを感じる。それもあるが、一方では新しく息子が増えるという気持も同じ位ある。

新しく息子になる青年はまじめで明るくて性格も良い。若い世代の人も様々だ。世の中の青年の中には顔をしかめたくなる人もたくさんいる。若い夫婦間にトラブルがあると、親だって頭痛の種が増える。

幸いにして、我が家の娘の連れ合いは二人とも良い青年に恵まれたことは本当に感謝すべきことだと喜んでいる。

2007年12月22日土曜日

年賀状

昨年は年賀状を25日前に出したのに、元日に届かなかった処があったと聞く。そんなこともあって今年は昨年より早めに準備して、今までになく早く20日に郵便局に出してきた。

昨年は郵政省での混乱があって、大失策の歳末だったようだ。
2008年用の年賀状は例年より売れ行きが好調のようだ。昨日も日本郵便より2008年用年賀ハガキを約1億454万枚を追加発行すると発表された。発行枚数合計は前年比5.8%増で、2年ぶりに40億枚の大台を回復するのだそうだ。配達や仕分けのアルバイトも昨年より2万人増やし、21万人体制で臨むという。

日本郵便株式会社は民営化された最初の正月なので、張り切っている姿が伝わってくる。多分25日に出せば元日には届くであろう。この3連休は日本全国年賀状を作っている人々の奮戦振りが目に浮かぶようだ。

これだけ何年も年賀状を書いていると、大体何日あれば年賀状が完成するか分かっている。早めに着手すれば間違いはないのだが、暇はあってもいつもいつもぎりぎりにならないと着手できないというのは悪い習慣だといつも反省する。

若い頃は版画を準備したり、宛名書きはすべて手書きだったので、準備にはずいぶん日数を掛けた記憶がある。最近はパソコンのおかげで準備日数はずいぶん短縮され楽になったが、そのかわり皆同じような年賀状になって味気がない。できれば手書きにしたいのだが、自分の書いた字は後で見ると破いて棄てたくなるほどの悪字なので、やむを得ずいつ頃からかパソコンで作成するようになった。

それでも、宛名のフォントをペン字体にして色をブルーにしたり、裏面のデザインをできるだけ個性的なものにしたり、手書きで文章を一言二言付け加えるようにはするのだが、出来上がりはもうひとつ気に入らず、自己満足だったことを悟りながら投函する。

年賀状の風習は日本だけかと思ったら、韓国、中国、台湾にも似た風習があると聞く。日本でこれだけ全国に普及したのは明治に入って新式郵便制度の実施後、郵便はがきが普及に伴って一般化したようだ。

歴史上、その前は何もなかったかというと、そうでもないらしい。平安時代に藤原明衡が著した「雲州消息」という書物に、年賀の手紙の例文がいくつも取り上げられているようだし、戦国時代に武将の書いた新年の挨拶文も残っているという。ずいぶん昔から行われている風習なのだ。

ひと頃、虚礼廃止などと言われ、年賀状も見直そうという風潮も一部にはあったが、元旦の穏やかな日、年賀状を見ながらしばらく逢わない人に思いを馳せるのも悪いものではない。

2007年12月20日木曜日

がん保険の問題点

17日に健康保険についての「つぶやき」を書いたので、今日はその続報として民間がん保険について書きたい。

我が家の家計は結婚当初から、家内に任せていた。従って、保険類も家内がすべて管理していた。最初の頃は出費はすべて主人である私にも相談していたが、途中から単身赴任で不在にする時期もあったりして、家計も育児もすべて家内にまかせっきりの状態になった。

保険類は掛けられる本人は最低限でいいと考えるし、受取人は多く掛けようとする。最初の頃はその掛金で言い争いをしたこともあった。いつの頃からは「家計の許す範囲で適当に・・・」ということになった。だから、生命保険も損害保険も、私は詳細は知らない。

2003年4月、私がガンだと告知されたとき、ガン保険はどうなっている?と初めて家内に聞いたくらいである。発病の15年位前に1口、8年前くらいに1口、合計2口加入していた。今まで保険には積極的ではなかった自分だったが、このときは家内に感謝をした。そしてその後約5年間、現在に至るまでそのガン保険に助けられることになった。同時に家内に頭が上がらなくなったし、仲の良い夫婦にもなったようだ。

ガンと診断されれば診断給付金、入院すれば1日あたりの金額×入院日数で支払われる入院保険金、手術保険金、通院保険金(20日以上入院した場合)などが支給される。

私の場合は最初の告知で入院・手術をし、その1年後再発してイレッサを飲むための入院をし、3年後イレッサをやめて、抗癌剤治療のために入院、その後は通院して抗癌剤の治療というような経過を辿っている。

最初の入院・手術でおりたガン保険の給付金は、今まで長年支払ってきた掛金の総額をすべて差し引いて、かつ個室に入って療養した病院への支払を済ませても尚且つ相当な額が手元に残った。

但し、問題点もある。私の加入した保険は最初の告知と入院・手術などには給付金がおりるが、古いガン保険では通院治療による抗癌剤の費用はカバーされない。通院の抗癌剤(イレッサも含む)ではガン保険の対象外なので、月々5~6万円かかる抗癌剤の費用は持ち出しとなる。

5年間では入院も通院治療もそれぞれ何度かあり、細かい計算をしているわけではないが、今までのがん治療の5年間のトータルではガン保険の給付金合計から病院への支払合計を差し引いた収支ではまだプラス(手元に残金がある)だと思う。

最近は抗癌剤がよくなり、種類も増えたこともあって、以前なら入院させた患者も通院で治療を行う傾向になっている。私の通う病院でも外来治療用のベッドが20人分あって、常に埋まっている。

そのような背景から、新しいガン保険では抗がん剤治療の補償を加えた保険が増えてきているようだ。国内、海外含めて日本で販売されている20社のガン保険では現段階で外来治療費を給付対象にしているのは23%だそうである。

これから加入を検討されている人は、この辺も考慮に入れて十分に比較検討をされるとよいと思う。

2007年12月18日火曜日

定期健診

本日は11月13日以来の定期健診。

10月31日のジェムザールの点滴を最後に、骨髄を休めるため抗癌剤をお休みして、12月12日に行ったPET検診でのガンの状況を診て、今後の治療方針が説明された。

●血液採取 全体には特別な異常はないが、白血球は3,500とやや低い。本来なら許容範囲3,900以上に戻るべきものがやや低いままに推移しているので、骨髄抑制の副作用の影響が残っている。
●レントゲン撮影 異常なし。
●PET検診 ガン組織の広がりや他への転移はないが、濃度がやや濃くなっている。緊急事態とはいえないが、引き続き抗癌剤の治療を要する。

●今後の方針 骨髄の働きが弱っているので、骨髄抑制のない抗癌剤を選択する必要がある。

候補 先生の頭には次の4つの候補がある。緊急を要する状況ではないので、年末年始をはずして年明け1月9日からイレッサの再服用を開始して、様子を見ながら、下記②、③、④の中から適する方法を選ぶ。

①イレッサ 再服用。効かなくなった人も、前に効果があった場合は再服用で効果を出す例がある。
②タルセバ 新薬。2月から使用可能となる。副作用はイレッサと類似。但し、皮膚疾患はイレッサよりひどくなる見込み。
③治験薬A(名前はない。記号が付いている)私の状況と製薬会社の条件が合致したときに使用可能となる。2月ごろから服用可能だが、まだ候補の段階。外国では認可・使用実績がある。
④治験薬B(同上)③とは別の治験薬。

2007年12月17日月曜日

健康保険制度の恩恵

前回ガンの治療費のことに触れたが、何もかも不満ばかりを感じているわけではない。治療費の高さに嘆く一方で、日本の健康保険制度や民間のがん保険に救われているという思いも大いにある。今日はその健康保険制度について「つぶやき」を・・・。

ご存知のように日本は世界でも誇れる皆保険といわれている。大中企業は単一健保組合、小企業の方は政府管掌健康保険、教職員は共済健保、船員は船員健保、無職・自由業は国民健保等々どんな職業についても健康保険組合がある。私はサラリーマン時代は所属する会社の単一健保に、退職後2年間の任意継続を経て、国保に移った。

私のように癌治療で多額の治療費が発生する場合は「高額療養費制度」が命綱となる。医療機関への支払いがいくら高額になっても、「高額療養費制度」によって自己負担限度額以上は後日戻される。

自己負担限度額(高額になっても自分が支払う分)は何年か前まで収入に関係なく一律36,000円代だった。つまり何十万円かかろうと1ヶ月のトータル金額がほぼ36,000円で済んだものだった。それがその後の何度かの値上げで、今は限度額が引き上げられになり且つ複雑になった。

今は収入により3段階になり、月収56万円以下ならほぼ80,000円台(数式があり、医療費を代入して計算する)が自己負担しなければならなくなった。私のサイト(こちら)に収入別の計算式があるので、必要な方は参照されたい。

意外と知られていないことで「多数該当高額療養費」という制度がある。これは過去12ヶ月以内に同じ世帯で4回以上の高額療養費の支給を受けたときは、4回目以降の自己負担限度額は減額となるという制度である。月収56万円以下なら自己負担限度額が44,400円になる。これは個人が申請しなくともそれぞれ所属する保険の保険者から通知がくる。(くわしくはこちら

私の場合もこの春から夏にかけて、抗癌剤治療で何回か入院して3回以上高額療養費に該当したので、先月と今月は市の国民健康保険課から通知が来て、44,400円以上支払った分の還付を受けた。

入院などして支払額が高額だと、いずれ戻るとはいっても医療機関の窓口に支払うのは大変だった。今年の4月からは事前に医療機関に「限度額適用認定証」(保険者に申し出ればもらえる)を提出しておけば医療機関で差し引き計算をしてくれて、自己負担限度額だけを支払えばよくなったので、手続きはずいぶん楽になった。

2007年12月15日土曜日

タルセバ価格決定

情報スクラップに掲載したように非小細胞肺がん治療薬エルロチニブ(商品名「タルセバ」)の薬価が決まった(こちら)。10,513円(保険が利くので、30%=自己負担分は3,154円)。これが高いのか、安いのか、立場立場でいろいろな意見があるのだろう。「こんな小さな錠剤が10,000円!」と思う人も少なくないだろうし、今まで個人で購入していた人は12,000円強と聞いていたので、安いと思うだろう。

私は以前はイレッサを服用していたが、イレッサ1錠は7,216円だった。それよりは大分高くなる。抗癌剤は毎日飲むので、その価格差は大きい。例えば1日1錠飲む人は3,154×30日として1ヶ月の薬代の自己負担分が94.620円となる。

私の場合はイレッサを飲んでいた頃は副作用(肝臓数値、皮膚疾患)が強くて、途中から隔日服用になったので、7,216×30%×15日=32,472円の薬代とその他の薬代、検査代、諸々併せて月々平均して50,000~60,000円かかっていたと思う。化学療法は費用がかかるのが悩みの種だ。

同じ情報スクラップの12月6日の記事に「11月の記事ランキング、高度化するがん化学療法が家計を圧迫が第2位に」という記事があって、その中に「高度化するがん化学療法が家計を圧迫 経済的理由で治療変更せざるを得ない患者も」(こちら)の記事は今多くの抗癌剤治療のがん患者が抱えている悩みが記されている。

医学の進歩で新薬が開発されて、命が延びることはありがたいことだが、反面治療費の高騰は家計を直撃する。がん患者の多くは高齢者であることを考えると、この費用問題は頭が痛い問題だ。月々10万円近い費用は年金生活者にとっては払いきれないケースも出ることは想像に難くない。

記事中の調査を行った東北大学医療管理学教授の濃沼信夫氏は、「がん治療など、負担の重い疾患に優先的に公費を重点配分し、代わりに自己負担でもまかなえるような軽い疾患の負担率を上げるといったように、負担率に傾斜をつけるような制度へシフトしてもいいのではないか」と提言している。

患者の立場は物が言いにくいが、ガンがこれから国民病のひとつになることを考えれば、費用の問題は患者本人の問題でもあり、家族の問題でもある。今若い人にとっても、これは将来自分に降りかかる問題なので、このような改正がされるとは有益なことだろう。

2007年12月12日水曜日

PET検診

今日は以前に予約したPET検診の日。予約が13:30なので、朝食を遅めにした昼食は抜きにした。

PETといっても、何年か前からPET-CTと呼ばれる設備になったので撮影時間が短くなって以前のPETよりは随分楽になっている。

私の場合、前に記したように抗癌剤を打つ期間が長くなったので、骨髄を休めるために現在抗癌剤を休止している。そのため、抗癌剤の副作用から開放され、体調は良い。

その反面、ガン自体がどうなっているかという心配がある。今回のPET検診は、その確認を行う。ガン自体の自覚症状は全くないので厄介だ。

結果は次の定期健診(12月18日)で結果の説明と今後の方針が説明される。

2007年12月10日月曜日

小春日和

天気予報でよく聞く「小春日和」。季節には関係なく、春のようなぽかぽか陽気のことをさすのか…と何となく誤解される人が多いようだ。

ものの本で調べてみると……
「小春日和」とは11月~12月上旬にかけて、寒さが厳しくなってきた頃に思いがけなく風の弱いぽかぽか陽気になる天候のこと。そして小春日和には2つのタイプがある。
★西高東低の気圧配置でも、ときどき日本付近の等圧線がゆるんで風が弱くなる。
★大陸から比較的暖かな移動性高気圧がやってきて、日本を覆うとき。
……だそうである。

12月上旬というから、厳密にいうとこの冬は今日がこの言葉が使える最後の日ということになる。

私の住む沼津近辺でもここのところ、連日のように正に上記にぴったりの小春日和が続いていてありがたい。日なたぼっこにも散歩にも格好の陽気だ。

私が1日のうち大半の時間を過ごす2階の部屋は南向きで日当たりが良い。冬にこのような天気の良い日の日中には暖房器具などは全く不要で、むしろ上に着ているものを1枚脱ぐほどである。

テレビを見ていると、国土の狭い日本でさえも南から北ではずいぶん気象条件が違うと感じる。
特に冬はその厳しさに大きな差があるようだ。雪国では毎日の雪下ろしは重労働だし、危険も伴うと聞く。移動手段も制限されるし、暖房費用なども大きな差となろう。最近灯油の値上げが家計直撃するという話題がテレビで取り上げられるが、ひと冬で万円の単位となると、その影響は大きいだろう。

政府がいろいろな援助手段を検討しているようだが、特に年金生活者等の家庭には早急に実質的な援助がされることを望みたいものだ。

2007年12月7日金曜日

散歩道での新発見


快晴で、穏やかな陽気なので午前中の散歩は浜に出てみた。

海岸での散歩は大体松林の中の遊歩道を歩く。遊歩道は最近作られたものだが、道の脇や松林の中には思いがけず江戸時代の痕跡を発見することがある。
今日はいつもと違って松林より海側にある防潮堤の上を歩いていたら、海側にも所々にある松林の間に碑のような物が見える。堤を降りて、近づいてみるとそれは供養塔(写真)だった。防潮堤からは松の木で見えにくい所にあるので、私にとっては新発見だった。

中央の塔が古いもので、周囲は後世に沼津市教育委員会が整備したもののようだ。教育委員会が整備した碑のの説明文を読んでみると、「この塔は近辺の漁業の守護神として天保12年(1841)3月に建立した。漁業者は水難者を丁重にまつることが、豊漁と海辺の人達の幸せにつながる」という主旨のことが記されている。

中央の塔は166年間も海風にさらされたので、文字も半分ぐらいは消えかかっているが、周囲の面には当時の出資者や有力者らしき名前が読み取れる。東助郷中、西助郷中などの今は存在しない近隣の組織の名称なども書かれている。そして、「高木與三右ェ門、長橋安右ェ門、近松源内、廣瀬三郎兵衛・・・」等々いかにも江戸時代らしい先祖の名前の数々が見える。この名前を眺めていると、166年前、5~6代前の先祖達がここに集う様が目に浮かぶようだ。その人達の風貌や、チョンマゲ姿、服装、生活、等々はどんなだっただろうかと想像するのも楽しいものだ。

1年ほど前だろうか、浜の松林の中の遊歩道を散歩中、旅行者らしき人に呼び止められて「史跡の場所」を尋ねられたことが2度あった。ひとりは市役所でもらったという地図を持っており、ひとりは観光ガイドのような出版物を持っていた。その地図を見ると毎日の散歩道の5㌔くらいの間に5箇所も江戸時代以前の史跡が載っていた。

地元に40年も住んでいても知らない史跡があるなんて・・・と思いながら、その後は遊歩道から離れた物にも注意しながら歩いた結果、その後4つ発見した。今日の発見がその5つ目だった。

2007年12月5日水曜日

老人保健

来年の4月から老人医療の新しい保険制度が発足する。
この制度の対象は75歳以上だから、私自身がその対象になるにはまだ10年あるのでもうひとつ関心がわかない。新聞などに詳細な内容の説明があってもあまり熱心に読む気はしない。

運よく長生きすればお世話になることになるが、正直言ってこれから先に何がどう変わるか分からないというのが本音だ。多くの方が似た考え方の人が多いのだろう。でも、親御さんやご兄弟が該当するようなら、ご本人は高齢なので、周囲の人が早目から検討して、助言されたらよいと思う。

私の両親(両方が故人)はいちばん良かったときの老人保険制度の恩恵を受けたとても運の良い世代だった。この制度自体がそれほど古くはなく、昭和48年に発足したと聞く。最初は70歳以上が対象で自己負担はすべて無料になった。非常に良い制度としてスタートしたのだが、その後いろいろ不都合なことが発生したようだ。

曰く、暇な老人が病院の待合室を占拠する「病院のサロン化」、病院の出口のゴミ箱は支給された薬でいっぱいになる、治療費が無料なので高齢者の長期入院者でベッドがふさがる・・・等々。真偽のほどは別として、老人医療費が予期せぬほど急激に増加したことは事実のようで、これにあわてた厚生労働省はいろいろな修正を加えてきた。今度の新制度発足もその一環のようである。

私は国民健康保険に所属するが、3年前までは勤務していた企業の健康保険組合に所属していた。そして多くの健保組合がこの老人保健制度にネを上げていると聞いた。企業の健保組合だから一見老人保険制度に無縁だと思うが、それが大違い。

企業の健保組合は従業員の給与から毎月何%かを天引きして、それに企業が同額負担してその両方を基にして、従業員と扶養家族の病気治療にかかる費用や出産費用等々健康保険を運用する。ところが、すべての健保組合は国から老人医療に回すための拠出金を納めることを強制されるのである。それも費用総額の40%近くと大変な額に上り、健保保険組合によってはその負担が大きすぎて、赤字運営を余儀なくされるところが多いと聞いた。

老人保険制度の原資は国からの税金が38%、被用者保険からの拠出金が62%で運営しているのである。つまり、現役世代が先輩の医療費を負担するという考え方だ。新制度はこの拠出金を軽減することも目的の一つのようだ。

4月からスタートする老人保険制度は75歳以上が対象であり、これからは該当する年齢になると、今までの健康保険制度を抜けてそちらに移るということになる。息子や娘の勤め先の健保組合の扶養家族になっているなら、月々の扶養家族の分の保険料はタダだったものが、新保険に移ることで新たに保険料を払うことになる。今までが国民健康保険なら、別の制度に移るので掛け金が変わる。

新たな支払う保険料も住む都道府県によって随分違うというのは不可解だ。僅かな差なともかく、今の試算では2倍もの差となるというからバカにならない。いずれは修正が行われるのかどうか?
各都道府県の保険料はこちら

2007年12月3日月曜日

アサヒる

毎年今頃になると、今年はやった流行語が取り上げられる。
ネット系のニュース・サイトを見ていたら、12月3日発売の現代用語の基礎知識2008に新しく97の言葉が収録されたと載っていた。「フルボッコ」「ローゼン麻生」「アサヒる」「アタシ、もうアベしちゃおうかな」「初音ミク」等々、私は殆ど知らない言葉だが、「アサヒる」だけは何度か目にした。「アサヒる」という言葉がネット上で本当に流行しているのかどうか、試しにYahooで検索してみると、12月1日時点で263万件超の検索件数があった。なるほど、「流行している」というニュースは、まんざら嘘ではないらしい。

『はてなダイアリーキーワード』によれば、「アサヒる」の意味は「捏造する。でっちあげる。執拗にいじめる」ということらしい。その起源は、2007年9月25日付の朝日新聞に掲載されたあるコラムニストによる次のようなコメントらしい。「『アタシ、もうアベしちゃおうかな』という言葉があちこちで聞こえる。仕事も責任も放り投げてしまいたい心情の吐露だ。そんな大人げない流行語を首相が作ってしまったのがカナシイ」。この「アベしちゃう」に、ネットユーザーが敏感に反応した。そのコラムニスト氏のブログには「そんな流行語は聞いたことがない」「また朝日の捏造だろ」といった書き込みが殺到し、その中から「アサヒる」という言葉が一人歩きし出したらしい。

つい3年前、私がイレッサを飲み始めた頃、私には相性が良かったらしく効果を発揮し、命を永らえた。ちょうどその頃、朝日新聞だけがイレッサ承認取り消し大キャンペーンを展開していた。正にアサヒる対象にイレッサを選んだようだ。幸い厚生労働省はそのキャンペーンをまともには取り上げなかったが、その時「私の命の元を断たないでくれ。新聞は事実だけを伝えろ」とこの新聞に大変な不快感を持ったものだ。

朝日新聞とは思想的に対極にある週刊誌がこれを揶揄する「アサヒる.web」なるサイトを作った。(こちら)

この内容を見ると、これでもかこれでもかと「アサヒる新聞(失礼)」やTBSを揶揄する記事が満載だ。

他愛のない内容だが、随分手間をかけて作っているという印象だ。思想的に左でも右でもない私が読む分には大声で笑ってしまうほど面白いが、朝日新聞やTBSの関係者が読むとさぞかし不愉快だろう。

新聞が本来の役割を逸脱せずに、中立の立場で事実だけを伝えている分には「アサヒる.web」のような中傷は起きないだろうに・・・と思う。

2007年12月1日土曜日

足湯の効能

今年も早いもので、今日から12月、カレンダーも最後の1枚になった。毎日ようやく冬らしい寒さを感じるようになった。冬といえばお風呂が恋しい季節になる。

私の家から車で30分ほどのところに伊豆長岡温泉がある。この病気になってから、温泉が治療に役立つということで時々日帰り温泉に出かける。車で走る県道の脇に公園があり、誰でも無料で使える足湯がある。いつも通るだびに観光客が足湯を浸かりながら、おしゃべりをする姿を見かける。
お風呂に入ることに越したことはないが、お風呂に入れない場合もこの足湯、なかなか健康には良いようだ。以前にある本で「足湯の効果」を読んだことがある。今日は私のダイアリーに記録されたこの「足湯の効能」について紹介したい。これから冬に向かって身体が冷えやすいので、費用もかからず効果が大きいこの足湯、ぜひ実行されると良いと思う。

全身を流れる血液中には、栄養分や酸素などのほか、代謝によって産生された老廃物なども混じっている。これらは尿などによって排出されるが、血の循環が悪かったりして排出されないと血液中に残り、引力の関係で下、そして血液の折り返し点、つまり足にたまりやすい。
足にたまった老廃物はやがて血行を阻害し、さまざまな病気の元となる。つまり、まず足を温めて血の循環をよくすれば病気の予防になるということになる。

●風邪のときだけでなく、足湯を習慣に!
風邪をひいたときなど、お風呂に入れないときでも、足湯なら可能。42度ほどの、ちょっと熱めのお湯にふくらはぎから下をお湯につけて、約20分。足を温めることによって、血液循環が促進され、温かい血が全身を駆けめぐる。全身浴とほぼ同じ効果が得られる。気軽にできるので、風邪のときだけでなく、テレビや本を見ながらでも、「入浴」と同じ効果が得られるという。
バケツにお湯を入れて足湯をしてもいいが、温度調節のできる足湯器もあるという。そして入浴剤を入れれば、保温効果が上がるのでよいそうだ。

●足湯は免疫機能をアップさせる
足湯は全身浴と同じような効果が得られるが、もちろん体温は上昇するが、ある実験で、免疫機能もアップさせることが分かったそうだ。
40~41度で20分足湯をして、20分後に採血をして、血液の状態を調べた。すると、ガン細胞を殺す作用のある「NK細胞」の活性度が、10人中7人で増加したという。足湯は体の免疫力をアップさせる力があるということになる。足湯の効果をさらにアップさせるために、足湯のあとには足のマッサージを習慣にすると良い。足の裏には体の全神経が集中していて、そこをもみほぐすことによって、血液の循環はますます高まり、体の機能アップにつながる。

2007年11月29日木曜日

山場CM

私は毎日家にいる関係上、テレビはよく見る。最近「老後は海外で」と海外へ移住する夫婦も多いようだが、私には日本のテレビが見られない海外生活はできない・・・というほどテレビが好きな人種だ。

ところが最近民放でのCMに腹が立つことがよくある。

「続いてのニュースは~です」「そこで見たものとは?」などと番組の山場で番組を切り、思わせぶりなナレーションでCMを流すスタイルが増えたからである。それに加えて、CM明けに、CM前のシーンを再び繰り返して放送するのもイライラする。
以前は話が一段落して落ち着いたところでCMが入るのが普通だった。業界では前者のようなCMを「山場CM」といい、後者を「一段落CM」と呼ぶそうだ。

そしてこの種のCMの流し方が果たしてCM効果があるのかどうかを調査した専門家がいる。

調査によれば、「山場CM」について「不愉快」とした人が「ややそう」「少しそう」「かなりそう」「非常にそう」を合わせて約86%に上ったという。一方、「一段落CM」については、逆に「不愉快」「好感が持てない」とした人がともに8%だった。「ここぞ」という場面での「山場CM」については、「一段落CM」の10倍近い人が「不愉快」「好感が持てない」と感じているという結果が出たという。

これを読んで、自分が不愉快に感じることは、他の人達も同じように感じているんだと納得したものだ。

その記事では同時に海外のテレビのことも調べている。日本の「山場CM」の割合が40%なのに対し、米国では14%、英国では6%、仏国では0%だったという。「クイズ番組で正解をいう前にCMを出したら皆怒ってリモコンをテレビに投げつけるだろう」という英国人の声も同時に紹介されていた。

とはいっても、その種のCMを今日もつい見てしまう。
番組製作者はスポンサーに気に入られるように番組を作ったつもりだろうが、そのCMの商品が視聴者から嫌われては元も子もない。日本人はおとなしいから、リモコンを投げつけたりはしないが、視聴者あってのテレビ放送だという「放送の原点」を忘れたんでは、視聴者は離れてしまいはしないか?・・・とテレビを見ながら思ったものだ。

2007年11月27日火曜日

続・三丁目の夕日

見ました「ALWAYS 続・三丁目の夕日」。

続編は公開前から大変な評判のようなので、封切から時期をずらしたり、「レディースデー」をはずしたり(混むので)して、昨日ようやく見ることができた。映画は期待しすぎると、大体は期待はずれということが多いが、この映画についていえば期待通りの出来だったと思う。

この映画の魅力の第一は「ノスタルジー」。製作者の狙いもそこにあり、観客の多くもそれを期待している。その点は大満足、文句の付けようがない。この映画の舞台は昭和34年(48年前)で、私は当時堀北真希演ずる六ちゃんとほぼ同じ年代だった。東京の下町に住んでいたので、駄菓子や板張りの住居等々街の風景や、子供の自転車三角乗り、ベーゴマ遊び、まだ上部に首都高速がない日本橋、街を走る都電、トヨペットクラウン、ミゼット、できたての東京タワー、プロペラ機DC-6が離発着する旧羽田空港、混雑する浅草の映画館街、満員の映画館で見る「嵐を呼ぶ男」等々映画に登場する画面のひとつひとつが正に私の体験そのもので、タイムスリップした気分だった。

だが、古いものを再現するだけなら、黒澤作品や小津作品をDVDで見ればよいのだが、この映画の良さは当時の情景を鮮鋭なカラー映像とサラウンド音響で再現したところに意味があるのだろう。古い映画とは臨場感が違うのだ。それも50年前とは格段の進歩をとげた映画製作技術のおかげだ。最近のVFX技術はどんな世界でも観客がまるでその場にいるようにリアルに映像化してしまう魔法の技術だ。映画の冒頭には夕日町三丁目を破壊するゴジラまで登場させるサービスが付いている。

魅力の第二はこれでもかとたっぷり盛り込まれた「人情」だろう。従業員である六子を2階に同居させ、親戚の子を預かり、まるで家族同様のように扱う鈴木オート家、自分が食えるかどうか分からないほどの貧乏でも、他人の子淳之介を手放さない茶川。今の時代でもこのように人の子供を預かるだろうか?いろいろな理由をつけて、預からない家庭が多いだろう。養護施設の林立や赤ちゃんポストの出現が現代を物語っている。

「貧しさ→助けあい→人情」は相関関係がある。私も子供時代は平凡なサラリーマンの家庭だったので、子供時代は貧乏だった。学校の友達の家庭も皆同じだった。当時の日本は一部の大金持ちと大部分の貧乏人だった。助け合いは貧乏人が生きていくための「生活の知恵」だった。
高度成長時代以降は大部分の貧乏人は中流階級に昇格した。と同時に上記のような関係性は崩れ、助けあいと人情がどこかへ飛んでしまった。

年配者も若い人も、今では希薄になってしまった人情の温かみとそのすばらしさをこの映画で感じる。

サウンドトラックのメロディ、これは前作と同じだが、これがとても良い。時にピアノで、時にオーケストラで、ちょっと悲しい画面にこのメロディがかぶさるとそれだけで目頭が熱くなってくる。映画での音楽の役割は実に大きい。
エンドロールのバックに流れるBump Of Chicken の「花の名」、初めて聞いたが、物語の雰囲気とマッチしている。詩も歌も秀逸で最後まで聞き入ってしまった。

映画館を出るとき、団塊の世代とおぼしき人々も若い人達も皆ほのぼのとした満足げな表情をしているように見えた。

●予告編です
●Bump Of Chicken の「花の名」

2007年11月25日日曜日

人の皮膚から万能細胞

「大人の皮膚から万能細胞」というニュースは大変なニュースらしい。私は門外漢なので、その重大さは一度聞いただけでは理解できなかったが、21日の大新聞すべてが一面に大きく取り上げたことや、その後の報道で改めてその重大さを知った。嫌なニュースが多い中で、久々に明るいニュースだ。

この研究は世界中で行われており、京都大学の山中教授らが始めて成功したということのようだ。京大と殆ど同時にアメリカのウィスコンシン大学も違う作り方で成功し、別な科学誌で発表したということだ。アメリカ政府も支援を表明したというニュース(こちら)も伝えられた。他にも同様な成功を収めている研究機関もあり、現在発表直前で検証中だというところもあるという。京都大学が一番乗りをしたというところに意味があるようだ。

その内容は私のような素人には細かい点は分からないが、今まで研究されていたES細胞が受精卵から作るため生命倫理の立場から反発が大きかったのに対して、今回のiPS細胞と呼ばれる万能細胞は人の皮膚に四種の遺伝子を組み込んで作るということで宗教的な問題もない。本人の皮膚なので拒絶反応もなくて、実用化もしやすく画期的だという。

うまくいけば、本人の皮膚からどんな臓器も作れるので、移植用の臓器に困らなくなる。移植用の臓器は慢性的に不足しているので、臓器移植の医療には大きな希望となる。

次の課題として、iPSを使って生まれたマウスの約2割でガンが見つかっており、実用化に当たっての解決すべき課題のようだが、既にガン化を防ぐ研究にも取り組み始めているという。遺伝子導入に使うウィルスがガン化を誘導するのが分かっており、別タイプへの置き換えが必要。これが実現できれば大きな進歩になるという。

iPS細胞の再生医療での臨床応用を山中教授は数年以内とみているようだが、医療科学への貢献の期待はとてつもなく大きいようだ。科学技術の実用化にはいくつもの壁が付き物だが、順調に進めばノーベル賞候補といわれるこの技術、順調に発展してもらいたいものだ。

2007年11月23日金曜日

ほっと一息、日本サッカー

U-22よくやった!ここで負ければ、オリンピックに出られないのはもちろんだが、負けられない理由はもうひとつある。
このチームは次のA代表の中心になる候補達、ワールドカップは中村や高原にいつまでも頼れない。オリンピックの予選・本選を通しての体験は次のワールドカップに必ず生かされる。スポーツはどれもそうだが、何千回練習をしても、本番での体験は身に付かない。
若い人は修羅場をひとつひとつ越えるごとに逞しく育っていくのは間違いない。そういう意味ではサウジ戦は日本のサッカー界を前進させる貴重な1戦だったといえる。

A代表といえば、オシム監督の病状が心配だ。昨日は川淵キャプテンまで病気(帯状疱疹)で倒れてしまったとの報道もあった。私のように見る側はただ無責任に言いたい放題だが、サッカーの関係者のストレスは大変なものなのであろう。

オシム監督の病状も心配だが、ワールドカップの日程もどんどん迫ってくる。関係者はどのように善後策を講じるか頭が痛いことだろう。浦和監督のホルガー・オジェック氏(59)に内定しているという記事がニッカンスポーツで報じられたが、協会やレッズは否定しているようだ。

今のところ、オシム監督の意識回復を待ち、名将の意見を尊重した上で今後の代表強化の方針を固める考えであるというのが日本サッカー協会の対応のようだ。そうはいっても、いきなり後継者を発表できないのだから、極秘裏に裏側の交渉は進められているのだろう。

オジェック氏といえば、ジーコ監督在職中に次の監督として取り沙汰された。結局はオシム監督になったが、オシム監督の最有力の後継候補であることに変わりはない。

オジェック氏はドイツ人だが、選手としてはブンデスリーガでプレイしたことはない。どちらかといえば指導者として、能力を伸ばしてきた人。1995年に浦和レッズの監督になって、それまで2年連続最下位だった浦和を優勝争いするまで引き上げ、1996年に退任して2007年ブッフバルトの後を受け、再び監督に就任してレッズをアジアチャンピオンズリーグ制覇を果たした。実績としては十分であり、考え方もオシム監督と似たところがあり、オシム監督と親交もあるので次の候補の最有力だろう。

2007年11月21日水曜日

北京五輪サッカー天王山

U-22オリンピック最終予選対サウジアラビア戦は今夜7時から。何を置いても、今日はテレビの前。以前からカレンダーに印をつけて楽しみにしている。

私はサッカーの国際試合が大好きで、このような試合があるときはテレビ観戦はすべてに優先する。何かのスケジュールがあるときは前もって調整し、食事や風呂などもすべて時間前に済ませて国歌演奏のときにはテレビの前にワクワクしながら陣取る。家族のなかでは(といっても、今はワイフだけだが)観戦がいつも自分だけなので、テレビも家の中のいちばん良いテレビはこの時間は絶対に渡さない。家族は他の小さなテレビに追いやる。

サッカーの国際試合は今日は日本での開催なので問題ないが、外国で開催されるときは困る。大体深夜の2時とか、3時とかになると、気持は見ようとするのだが、多くの場合寝入ってしまい、気がつくと試合が終了していたということが多い。

今日の試合はそれこそオリンピック試合の大詰め。先週まではカタールが首位だったが、日本がベトナムに勝ち、首位のカタールがサウジに負けたので随分楽になったのだが、今度はいちばん怖い相手サウジを元気付けてしまった。引き分け以上ならオリンピック出場決定だが、負けたら終り、逆にサウジが出場権を得る。過酷な試合であることに変わりはない。

何しろ、この代表チームはもうひとつ頼りない。全員がプロ選手で実力はあるのに、ここぞというときに力が出ない。ゴールの前でさえ、遠慮してパスを回してはチャンスを逃してしまう。ハラハラドキドキしながらの観戦になることは間違いなさそうだ。

でも、敵は日中40度を越す国から来たのだから、前半は寒くて身体が動かないことに期待して・・等と姑息なことをつい考えてしまう。夏は逆に猛烈な暑さの相手国へいって戦ったのだから、今度は日本がアドバンテージを受ける番だ。

夜9時ごろにはサウジに勝って祝杯を上げているか、ヤケ酒になっているか?実力は5分と5分、相手のサウジだって今日勝てば、オリンピックに出られるのだから国の威信を背負って死に物狂いで来る。オリンピックに出られなくなると、北京五輪の興味は半減してしまう。試合も応援もハードな戦いになるのは間違いない。

2007年11月19日月曜日

混合診療

現在、日本の健康保険制度では混合診療を認めていない。つまり、保険で認められていない薬や診療方法をを少しでも使うと、その他の支払まですべてが健康保険が利かずに、自己負担になってしまうということである。これを最初に聞いたときは随分変な制度だと思ったものだ。

厚労省が混合診療を認めない理由は「安全性が確保できていない医療の誘いに患者が乗りやすくなる危険性がある。必要な医療は保険制度の下でしっかり提供していく」(医療課)ということであり、全面解禁には反対する姿勢を崩していない。

最近の薬害問題に対する厚労省の対応の仕方を見ると、よく恥かしくもなくこんな立派なことが言えるものだと感じる人が多いのではないだろうか?

世界で使われているガンの標準治療薬は約180種類ある中で、日本で承認されているのは僅かにその2割程度だそうである。つまり外国に比べると承認のスピードがとにかく遅いのである。幸い肺ガンの場合は承認薬の種類は他のガンより多いようだが、ガンの種類によっては外国で実績のある未承認薬を使いたいケースもたくさんあるようだ。しかし、混合診療の壁の前で断念する患者さんがたくさんいると聞いたことがある。

舛添厚労相は久しぶりに国民の方を向いて政治をしてくれる政治家だ(これが普通なのだが)。「基本的な原則は今のところ曲げない」と一応厚労省の立場を擁護をしながらも、「ケース・バイ・ケースで判断するようなことを考えてもいい」とし、国の審議会などに議論を求める考えも示しているようなので、期待はできそうだ。

安全性や公平性を考えれば、必要な医療は国が責任を持って保険診療で行うべきというのが原則だが、それでも一刻を争う患者が未承認薬を使いたいというのであれば、自己責任であっても自由に使えるようにすることを認めるべきだと思うのだが。

2007年11月17日土曜日

吉兆

最近テレビ・新聞で「吉兆」の名前をよく目にする。吉兆といえば高級料亭としてのイメージで、私のような庶民にはとんと縁のないお店だと思っていたが、これだけマスコミに登場すると、否が応でも吉兆のことを知ることになる。

ちょっと前、安部総理の時代に総理が吉兆で官房長官と密談をしたというニュースがあり、物好きな記者が吉兆へ電話をして料金を問い合わせたという。もちろん安部総理が払った料金を教えることはないが、一般的にはお一人様85,000円位だという。お飲み物を合わせるとほぼひとり10万円はくだらないというのがその時の話だった。これも税金の無駄遣いという伝え方だったのだが、安部総理が官房長官とまさか居酒屋で打ち合わせをするわけにはいかないから、まあいいじゃないか・・・とも思うが、世の中には料金が高くても高級感が必要だという客層もたくさんいるようだ。吉兆といえばそんなイメージだった。

吉兆と聞くと、古い歴史があるように感じるが、歴史は比較的浅く創業は昭和5年だそうである。開店の日、何と客はゼロだったという逸話があり、そこから現在の地位を築いたのは10年程前に亡くなった創業者である湯木貞一氏の才能だったという。

今マスコミを騒がしている船場吉兆の表示偽装の値札張替え事件ではパート、アルバイトに責任を押し付けようとしているようだが、常識で考えてもパート、アルバイトが勝手にそんなことができるわけがない。
もし仮にそうだとしても、経営者が外部に対してそんな発表をするようでは最低の経営者だろう。従業員の起こす不手際はすべて経営者の責任なのだから、それをすべて呑み込んで外部に謝罪をするのがまともな経営者だろう。これもリスク管理の初歩なのだが。

そのパート、アルバイトは安い給料の上にこんな汚名を着せられたのではたまらない。懸命な反撃をする気持は理解できる。
先代が汗と努力でここまで築き上げたブランドも商売の基本が分かっていない3代目がつぶすのはわけはない。今回の不祥事は船場吉兆だけの問題だが、他の吉兆に影響を及ぼさずにすむかどうか・・・。

2007年11月15日木曜日

誰もいない海


私の家から南に5分ほど歩くと駿河湾に出る。今年の春、抗癌剤の治療をするまではその駿河湾沿いの松林の中の遊歩道を毎日5キロ(1時間強)歩いた。抗癌剤の治療のために何度か入院をしたり、白血球が下がったりと日課のウォーキングは中断せざるを得なかった。そのせいか脚力が落ちて、最近は気が向いたときに自宅周辺を時々30~40分歩くだけになっていた。

今日は久しぶりの快晴だったので、約半年振りに駿河湾に出て見た。今日は写真のように見事に誰もいなかった。写真は駿河湾で、はるか遠くに見えるのは伊豆半島である。

昔、トアエモアの唄で「誰もいない海」というのがあった。今日はその唄を思い出すほど、見渡す限り人影が見えなくて静かな海だった。

いつもはもう少し人影が見える。海岸での遊び方も昔に比べて多彩になった。平日でも釣り、ウォーキング、ジョギング、ゴルフの練習、自転車、凧揚げ、ラジコン飛行機(ヘリ)等をする人達が必ずいる。それが土日や休日には約3倍位になる。

最近は自転車を楽しむ人が増えたような気がする。それも今は自転車などとは言わず、ロードレーサー、マウンテンバイク、ランドナー等々と目的に合わせて種類が豊富なようだ。防潮堤が東西に延々と伸びていて、車もいないので、自転車を飛ばすには最適のようだ。それも競輪選手のような高価な自転車とこれも選手のような派手な色使いのウェアとヘルメットを着用している。最近では若い両親と子供達の家族全員が完全装備をしてサイクリングをする姿を時々見かけるようになった。

2007年11月13日火曜日

定期検診

本日は先々週10月31日(水)に続いて定期検診だった。
いつもの通り検診が11:00なので、採血とレントゲン撮影の時間をみて病院には10:00頃入った。
朝病院に到着して、いつものようにすぐ採血とレントゲン撮影を行って、11:00の診察を待った。

診察結果
・白血球の数値は2,500と正常範囲(3,900~9,800)より大分低めだった。
・好中球は40%と標準(50%)にやや達していない。
・肝臓の数値等は正常値。
・レントゲン画像には異常は見られない。

白血球も好中球も低い。無理すればこれでも抗癌剤ができないことはないが、春からずーっと連続して抗癌剤を点滴しているので、副作用で骨髄が疲労していることが考えられる。
ここはしばらく骨髄を休ませることも必要。12月8日にPET-CTを予定しているので、その結果を見て次の方針を決めたらどうかと思う。
12月12日(水)の診察日に説明をしたい。

ガンの進行が見られるようなら、その時点の体調を見て選択する抗癌剤の候補はいくつも在る。タルセバという新薬も1月から使用可能となるので候補のひとつとなる。

2007年11月10日土曜日

インフルエンザの予防接種(続き)

昨日、インフルエンザの予防接種を受けるため近所の内科医院に出かけた。昨年までは大体今頃がんセンターに診察に行った際にお願いしていた。
今年は市から私の個人名宛にハガキでインフルエンザ受診票が届いた。1,500円で受けられるようだ。今年はじめて来たということは65歳以上の人に対して市が補助して行っている施策のようだ。そういえば昨年までの予防接種は4,000円取られていたので、市が相当額補助してくれているようだ。

10名も入れば満席になりそうな小さな個人病院だが、行ったときは幸い先客がゼロだった。受付と同時に用紙にいろいろ記入させられたが、すぐにできた。
診察室から出ると待合室に一人いて、同時に入口から若いお兄さんがせきをしながら、勢いよく入ってきた。受付嬢の「お加減はいかがですか?」という問いに「熱は下がりましたが、せきが・・・」等と言っている。
大病院は風邪をうつされる恐れがあるので、小さな医院を選択したのに、これではたまらん・・・などと思いながらいちばん離れた席で会計を待った。なるべく息をしないようにして病院を後にした。

7日の記事のコメントに匿名さん(名前を書き忘れた?)から「インフルエンザワクチンが注射でなく飲むワクチンになるかも」という情報が寄せられたのでご紹介します。(記事1記事2

またラザロさんからは風邪の予防の仕方のポイントが書き込まれていたので同様にご紹介します。
「口と目から入るvirusの除去と防御、そして、睡眠。
うがいは、声を少し出しながら、ガラガラと数秒し、それを最低3回繰り返します。
後、とても大事なことは、マスク。
寝るときは、気化式の加湿器で部屋の湿度を70%に保つことですね。
今年は、気候が、変でしたから、VIRUSも多いかもしれませんね。」

2007年11月7日水曜日

インフルエンザの予防接種

この10月以降、埼玉県飯能市、大阪市西淀川区、岡山市、愛知県田原市などでインフルエンザによる学級閉鎖が行われたという報道があった。この冬も全国でインフルエンザの流行は避けられそうもない。

一方で明るいニュースもある。世界保健機関(WHO)は23日、新型インフルエンザの世界的な流行を抑えるワクチンの製造能力が、新技術の開発などにより大幅に拡大、2010年には世界人口の約7割に当たる45億人分を1年以内に供給できるようになるとの予測を発表した。

それにしてもいくらよいワクチンがあっても、自分で予防注射をしに出向かなければ始まらない。私の場合は日頃抗がん剤で体力が落ちているので、インフルエンザにかかったらとても耐えられないかもしれない。

従って、ここ何年かいつも今頃に予防接種をすることにしている。昨年まではイレッサを服用中だったが今年は抗がん剤ジェムザールを点滴しているので、インフルエンザの予防接種をしても問題がないのか、10月31日に定期健診に行った際に医師に相談してみた。

抗がん剤を点滴していても原則としてインフルエンザの予防接種は構わない(薬剤同士の反応等はない)。ただ、注意する点はインフルエンザの予防接種で発熱等がある場合があるので、抗がん剤の副作用と混同しないように注意が必要。私の場合は2週間に一度ジェムザールを点滴するので、前の点滴をしてから次の点滴の5日前位に打つのがよいのではないかというアドバイスがあった。

そんなことで、今週中には近所の内科医に出向こうと思う。

2007年11月5日月曜日

ニチアス事件

先週末、家内と二人でテレビニュースで「ニチアス事件」を見ていて思わず「え~っ」と声を上げた。その不正断熱材が旭化成のへーベルハウスに使われているという説明を聞いたからだ。よりによって我が家はそのへーベルハウスである。ただ、我が家は平成元年の建築なので、評価テスト自体が平成13年から始まったということなので該当はしないが、こんなことを耳にするとその他のあらゆることに疑心暗鬼が生まれることは確かだ。

ニチアスは住宅用断熱材などの分野でトップメーカーで、軒裏や間仕切り壁に関する耐火性能試験や準耐火性能試験に、水を含ませてより燃えにくくした部材を使って合格し、国土交通相の認定を不正に受けていたことが分かったということだ。

国交省やニチアスによると、不正は耐火性能などの住宅性能評価が始まった直後の平成13年2月から始まり、17年8月まで恒常的に続いたという。当初から担当役員も不正を黙認したという。社長は昨年10月の内部調査で不正を把握したが、納入先のハウスメーカーやゼネコンなどには知らせず、その後も軒裏など1万7000棟分を販売した。内部告発があり、今月17日になって国交省に報告、納入先にも連絡したのだという。

この事件で思うのは今回の不正の発覚がお役所の検査の結果ではなくて、内部告発だったことである。そもそもお役所の検査はアネハ耐震偽装事件もそうだったように業者が悪いことをするわけがないという「性善説」で成り立っている。つまりニチアスだけでなく、他のメーカーも同様なごまかしをしていないかということである。耐火性能など火事になってみなければ分からないし、テスト性能の1時間が40分になったってばれないだろう・・業者がこう考えたのではないだろうか?

この事件の性質はタチが悪い。「隠蔽」を通り越して「詐欺」に当たる。たたきあげのオーナー経営者ではなくて、大企業にもこんなレベルの低い経営者がいることに驚かされる。少数の経営陣の判断の誤りで、善良なたくさんの従業員や家族が路頭に迷うことになるのは誠にお気の毒なことだ。

2007年11月3日土曜日

食品偽装事件

「白い恋人」も「赤福」も我が家は皆大好きだった。日常的に食べるものではないが、旅行のお土産などでよく戴いた。

食品偽装事件は昔から後を絶たないが、ミートホープが世間を騒がせて以来、次から次へ名の通った老舗の銘菓や食品が告発されている。いずれも農水省への内部告発が元のようだ。今では農水省への内部告発は倍増して月に300件を超えるとか・・・。

「あんなに売れる商品が何もこんなケチなことをしなくとも」と部外者の我々は思う。内部の事情は知らないが、想像では・・・最初はちょっとした「もったいない」と思う気持なのだろう。それが毎日少しずつ繰り返すうちにはだんだん規模が大きくなり、そのうちには悪いことをしているという感覚がすっかり麻痺してしまうのだろう。
良心の呵責を感じる従業員が、多分退職後に内部告発をするのだろうと想像する。経費節減のつもりが屋台骨まで崩れる結果になって、社長はそこでようやく事の重大さに気づき後悔するのだろう。

それにしても、消費者は何を信用して食品を購入すればよいのだろう。現在メーカーの良心を信じること以外には手はないようだ。食品の安全を守るために消費者の立場に立った法律が事実上存在しないようなのだ。食品表示については、農林水産省管轄下の JAS法を含め、厚生労働省下の食品衛生法、公正取引委員会が管轄する景品表示法、経済産業省の不正競争禁止法など4つの法律が存在するが、いずれも業界寄りであったり、食中毒などの被害が起きるまで発動されないなど、消費者の安全を守るという観点から見ると、明らかにザル法と言わねばならないものばかりなのが実情だという。

ブランドを信用している消費者は包装紙をみても賞味期限の日付を信用することぐらいしかできない。工場で何が行われているか等は知る由もない。頭を下げる社長や専務など偉い人達のハゲ頭や白髪頭(私もそうだが)を毎日見ているような気がするが、こんな姿を見ても消費者には何の救いにもならない。消費者をだました経営者は市場から永久に退場してもらわなければならない。

2007年11月1日木曜日

定期健診並びにジェムザール8回目の点滴

昨日(10/31)は先々週10月16日(火)に続いて定期検診だった。
いつもの通り検診が11:00なので、採血とレントゲン撮影の時間をみて病院には10:00頃入った。
朝病院に到着して、いつものようにすぐ採血とレントゲン撮影を行って、11:00の診察を待った。

診察結果
・白血球の数値は3,500と正常範囲(3,900~9,800)より若干低めだった。
・好中球は50%と標準の範囲内に入っている。
・肝臓の数値等は正常値。
・レントゲン画像には異常は見られない。

白血球がやや低いが、前回よりは高いので先生の判断で点滴に問題はないということで、診察後すぐ通院治療センターへ行って点滴の予約をする。今日は1時間待ちといわれた。1時ちょっと過ぎには病院を出られそうなので、食事は外ですることにして、それまでは11階の展望ラウンジへ行ってコーヒーを飲みながら時間をつぶした。あまり時間がかかる場合は、この空き時間に院内で食事を取る。その場合は11階のレストランか、地下の売店で弁当とかパンを買う。ここのところ何回かはそうしてきたので、今日は外で食事をすることにした。その方が選択の幅が広がる。

約50分後、呼び出されて、吐き気止め30分+ジェムザール30分、両方で1時間の点滴を行った。

2007年10月29日月曜日

平均寿命

最近「天璋院篤姫」を読み始めたことは10月22日のブログに書いた通り。来年の大河ドラマであるこの話は幕末の徳川将軍家という私のような庶民とは縁遠い世界の話だが、読み進むにつれて江戸末期の生活習慣の現代との違いを今さらながら感じながら読んでいる。

そのひとつにその時代は現代とは違って子供が育つのが如何に大変だったかが良く分かる。主人公篤姫は薩摩の今和泉家の娘であるが、本家筋の薩摩藩主島津斎彬(なりあきら)の養女になる。島津斎彬の子はことごとく早世、長子菊三郎が1歳、長女澄姫が4歳、2女邦姫が3歳、2子寛之助は4歳、3子盛之進を4歳で亡くしている。お殿様には側室もいるので、それと併せると生まれた子供のうち、6人の男子と2人の女子が早世して育たなかった。

これは将軍家でも同じようなものであったようだ。上流階級は専属の御典医もいて、当時の最高レベルの医学で至れり尽くせりの措置が可能ななかでのことなので、庶民階級ではもっと大変だったのだろう。
将軍家や藩主などでは覇権争いによる暗殺(毒盛り)があったり、大奥の女性の白粉に含まれる鉛が乳児に与える鉛害などもあったようだが、圧倒的に病死が多かったようだ。

ところが、現代に目を移すと世界保健機関の世界保健報告2006年度版によると、現代の日本の男性の平均寿命はサンマリノとアイスランドと並んで79歳で世界一、日本の女性の平均寿命は女性86歳で単独世界一、 ちなみに、平均寿命が最短なのはジンバブエの36歳だそうだ。

日大の小林教授の研究にもとづいて作成された生命表によると、縄文時代の寿命は男女とも14.6歳、室町時代では15.2才であったという。 また長野県の宗門帳にもとづいて作られた「江戸時代農村住民の生命表」によると江戸時代の平均寿命は男子が36.8歳、女子が26.5歳であった。明治13年にようやく男女とも30歳の関門を突破し、大正に入って男女とも平均寿命が40歳を超えたのだそうだ。
歴史には長寿の人もたくさん存在する。育ってしまえば長生きする人も多いが、小児の成長がいちばん難しく、子供の早死が平均寿命を下げている最大の要因のようだ。

我が家でも、孫の話などもこのブログに書いたこともあるが、孫が生まれて丈夫に育ってほしいという希望は持つが、途中で失うなどということは想像もしない。やはり医学の進歩はありがたいことなのである。

2007年10月27日土曜日

技能五輪国際大会

地元での40年来の友人がいる。まだお互い20代の若者だった頃、一緒に英会話の勉強をした時期があった。今のようにいろいろな英会話スクールがなかった時代だった。やがて飽きっぽい私は落伍し、根気強くて勉強家の彼は今だに続いている。今では彼は普通に外人と会話ができるようになっており、市へ登録して外国からのお客さんが来るとボランティアで通訳をするまでになっている。彼とは今でも毎年何回か会って食事をする。

ところが、その友人が今年に入ってからとても忙しそうにしている。よく聞いてみたら、「第39回技能五輪国際大会」が来月地元沼津市で開催されるからだそうである。そのため沼津市に50カ国からたくさんのお客様が来るのでボランティアとして準備のお手伝いから運営まで関わるので大忙しなのだという。

「技能五輪国際大会」は一般にはあまり周知されていないようだが、結構大きい行事のようだ。1950年にスペインで第一回が開催されてその後2年に一度開催されていて、今年静岡県が開催地となっている(こちら)。

かつて、日本が高度成長に入る時代には技能五輪の話題はよく新聞紙上を賑わした。日本は技術立国の色合いが強かったので、海外の国際大会で評価されることは若者達の大きな励みになった。フライス加工で誰それが金メダルを取った、旋盤で誰それが銀メダルを取ったと写真入りで大きく報道された。そしてその年代の人達が日本の技術立国を支えてきた。

時代が変るにつれて、今の若者達は工場現場で油にまみれることに魅力は感じなくなっているようだ。どうしても工場は3Kのイメージが強く、ITとか金融とかこぎれいな第3次産業が人気のようだ。

私などは日本の立国の基礎である物作りが軽んじられる傾向を憂いているので、そういう意味ではこの種の行事の持つ意味は大きい。地元では街のあちこちに関連する表示があるのが、全国的にはあまり報道がないので、周知されていないかもしれない。

できることなら、このような行事を通じて物づくりの魅力を感じる若者が一人でも増えてくれるとありがたいのだが。

2007年10月25日木曜日

優先席の復活

阪急電鉄は「全席が高齢者や障害者優先」として8年前に全国で初めて廃止に踏み切った車内の優先席を、10月29日から全線で復活すると発表した。乗客同士の譲り合いの精神に期待したが、お年寄りの利用者らから「譲ってもらえない」「優先席があった方が譲ってもらいやすい」などの声が寄せられ、現実の前に理想が挫折した形となった。阪急は「趣旨が定着しなかった」と残念がっているという。同様に優先席を廃止していた能勢電鉄、神戸電鉄も同時に復活させるようだ。

これを報道した番組でマイクを向けられた大阪のおばちゃんは「大阪人は順番も守れないんだからムリムリ」と答えていた。
一方、横浜市営地下鉄も2003年末から同様に全席を優先席としているが、「賛同する声が多い」として見直す予定はないという報道もあった。

これだけから判断すると、地方性もあるのかなとも思えるが、私にはとてもそうは思えない。私が3年前迄乗っていた関東近辺のいろいろな電車でも若者が高齢者に席を譲る姿はあまり見かけたことはない。それより高齢者が前に立っても若者が寝たふりをしているのを見て不愉快に感じた回数の方が多かった。
最近は地元のローカル電車によく乗るが、高校生のお行儀の悪さには辟易する。入り口付近に集団で床に座り込む生徒や、優先席でも我が者顔で占拠して騒ぎ立てる。他者への配慮など微塵も持ち合わせないように見える。

かつての儒教的思想は近代天皇制のもとでは国民全体に強要されたものとして、戦後教育からは排除されたが、年長者を敬い、弱者を庇うといった人間として必要な秩序までもが葬り去られてしまった。その結果、殺伐としたいじめや尊属殺人までもが平然と行われるようになったのもそれが一因ではないだろうか?

もちろん戦前の教え方に戻すことはできないが、「教育再生」は必要だ。少なくともこれから大人になる子供達だけには学力だけでなく、「自分より弱いものへの思いやりや愛情」の大切さを教えてもらうとありがたい。

2007年10月22日月曜日

来年の大河ドラマ

私は歴史物が好きなので、NHKの大河ドラマは毎年楽しみに見ている。今年の「風林火山」も川中島の戦いになり、勘助心の支え由布姫も死んで終盤に入る。

さて、来年の大河ドラマの舞台は幕末、主人公は天璋院篤姫(こちら)である。来年の話はまだ早いかもしれないが、私にとっては例年今頃から準備に入る。というのは私の大河ドラマの楽しみ方は、この7年間必ずドラマを見る前に原作本を読むことにしている。2001年の「北条時宗」から、「利家とまつ」「MUSASHI」「新撰組」「義経」「巧妙が辻」そして今年の「風林火山」と毎年そうしてきた。歴史物の場合、ストーリーはよく知っている場合が多いので、原作本でその時代背景や周囲の登場人物、現代との考え方の違いなどを予め知っておくことでドラマの楽しみが倍加するように感じる。ということで、準備というのは原作本を読むことである。楽天ブックスに講談社文庫上下2巻(下記)を注文して一昨日手元に届いた。

原作者は2005年の「義経」と同じ宮尾登美子だが、彼女は「陽暉楼」「鬼龍院花子の生涯」等の女性を主人公とする小説が多いせいか、あまり多くは読んでいない。それでも数年前に読んだ「天涯の花」は今でも強く印象に残っている。名もない少女珠子が養護施設で育ち、四国の霊峰・剣山の山奥の神主夫婦の養女となる物語だった。山の厳しく美しい自然、心優しき人々との出会い、そして初恋、少女の生の輝きを情感豊かに描く長編小説だった。見事な筆力で描く女性の情感描写は女流作家独特のものだと感じたものだ。

大河ドラマの主人公天璋院篤姫は幕末から明治にかけて生きた人。薩摩島津藩の分家、今和泉家の娘で薩摩藩主・島津斉彬の養女を経て江戸幕府13代将軍徳川家定の正室として、大出世の嫁入りをする。御台所としては身分が低すぎるといわれながらも、大奥3千人を束ねる見事な御台所として、病弱な夫との形ばかりの結婚に耐え、養父の秘命を果たした48年間の波乱万丈の生涯をおくった。

日本が夜明けを迎える明治維新を背景に、徳川家の裏側で起きたいろいろな出来事を女性の眼を通して描く。原作で読む篤姫のイメージは大柄で心優しいが芯が強く利発な女性、篤姫役の宮崎あおいちゃんはやや線が細いようにも感じるが、篤姫のイメージは一般的にあまり強くないので、すぐ慣れるだろう。来年は1年間宮崎あおいちゃんの篤姫を通じて幕末へのタイムスリップが楽しめそうだ。主人公が女性だけに女性の大河ファンが増えるのではないだろうか?

 詳細↓

2007年10月20日土曜日

薄化粧の富士山


今年は暑い夏が長く、涼しくなったと思ったら急激に寒くなった。我が家もコタツの準備が整った。まだコタツは使ってはいないが、これほど冷房をやめて暖房を使うまでの期間が少ない年は記憶にない。いちばん大好きな秋が短いのが残念だ。これからは毎年こんな風になるのだろうか?日本の四季も変わってしまう。

最近殺伐とした事件が多い。親が子供を殺し、コンクリート詰めにする。子が親や祖父母を平然と殺す。でも、散歩に出て富士山を見上げるとそんな嫌なことを忘れるよう気ががする。今朝、ふと見上げると富士山はうっすら薄化粧をしている。昨日は雨天で富士山が見えなかったが、その雨が山頂では雪になったようだ。
全国の山々もきっと今日雪を被ったというところが多いのではないだろうか?

2007年10月18日木曜日

亀田家騒動

亀田家騒動が賑やかだ。そういう自分もあのひどい試合以降、チャンネルのハシゴをして見てしまったが・・・。騒動の舞台でテレビに登場する葛飾区は私が少年時代を過ごした場所なのでつい懐かしく見入ってしまう。

スポーツ精神を冒したという高邁な意見をいう人もいるが、そこまで大げさに考える必要もないだろう。そもそも今までのプロボクシングの扱いはプロレスやK-1などの格闘技ほどではないが、スポーツとショーの中間だ。そんなに神聖なものとも思えない。従って、テレビ放映は金儲けのためで、見ている人や関係者はその扱いに誰も文句をいう人はいなかった。今回の反則の連発はいけないことは当然だが、いまさらスポーツマンシップとかいわれても「?」という感じだ。

元々JBCだって亀田人気に乗っかっていた。積極的には処分はしたくないところへ、苦情が殺到して世間の騒ぎがあまりに大きくなりすぎたので重い腰を上げたように見える。時津風部屋事件と相撲協会の関係と似ていないだろうか。

それにしてもTBSの態度は腑に落ちない。放映権を持つTBSの今までの亀田兄弟への入れ込み方は尋常ではなかった。父子鷹として大げさにショーアップした演出はひどいものだった。この前の世界戦の試合だって、試合開始の1時間前から延々と見たくもない内容を見せられた。これだけ亀田家を持ち上げてきたTBSが今回の騒動の後は手のひらを返したように他局と一緒に亀田家を叩く側に回っていたのにはあいた口がふさがらない。

このTBSを初め亀田家を担ぐお神輿の担ぎ手が、騒動とともに蜘蛛の子を散らすように逃げ出して一家は地面に放り出されたようなもの。問題だらけの亀田家ではあるが、こんなふうに持ち上げられて、落とされる様子を見ると、彼らも今の商業主義の犠牲者なのであろう。

それにこれだってほかのスキャンダルが起きればメディアもそっちに乗り換えるに決まっている。ちょっと前まで朝青龍、時津風問題、沢尻エリカ騒動、でこれ。あと1週間もすればこの問題には見向きもしなくなるだろう。

2007年10月17日水曜日

定期健診並びにジェムザール7回目の点滴

昨日(10/16)は先々週10月2日(火)に続いて定期検診だった。
いつも検診が11:00のことが多く、採血とレントゲン撮影の時間をみて病院には10:00頃入るのだが、今日は検診予約が10:00しか取れなかったので、病院へはいつもより1時間早く9:00に入った。
朝病院に到着して、いつものようにすぐ採血とレントゲン撮影を行って、10:00の診察を待った。

診察結果
・白血球の数値は2,900と正常範囲(3,900~9,800)と前回より大分低めだった。
・好中球も40%と標準の50%よりやや低い。
・肝臓の数値等は正常値。
・レントゲン画像には異常は見られない。

白血球も好中球もやや低いが、先生の判断で点滴は可能とのことで、診察後すぐ通院治療センターへ行って点滴の予約をする。今日は2時間待ちといわれたので、散歩コース(院内)を散策し、ゆっくりと昼食を摂って時間を過ごした。今日は陽気が暑くも寒くもなく、頬に当たる外気の風が心地よい。庭園のバラの花を見ながらゆったりと散策するのは久しぶりだった。
1時間40分後、呼び出されて、吐き気止め30分+ジェムザール30分、両方で1時間の点滴を行った。

2007年10月16日火曜日

がん患者が憧れる自然退縮-2

最近ある文献で見つけたのだが、大阪大学のある教授が進行ガンでも1000人に1人の割合で自然退縮が起こっているというんです。これは発病した時点では確かに弱かった「免疫」の力が、何らかの原因でガン細胞に勝ったという現象ともいえるのです。このような例からも、発病により、「免疫」の力は「敗者」として消え去るというものではなく、常に体内で敗者復活の戦いを続ける頼もしい存在なのですと述べており、ガン患者に希望を持たせる。

ガンになるには3つの要因が関係する。
その第1は「発ガン因子」、これは遺伝子に傷をつける食品の発ガン物質や放射線、排気ガス等々。第2は発ガンを促進させる「発ガン促進因子」。これは、高塩分、高タンパク、高脂肪食品の摂取過多などで体内が汚染され発ガンを促進させる。でも、これだけでは発ガンしない。
もう1つ発ガンを完成させる為に必要なのが「完成因子」ともいうべき身体の防衛力、免疫力の低下である。この免疫力は低下すれば発ガンの大きな要因となるが、上記の教授の弁のように「自然退縮」で末期のガン細胞でさえ消し去ることもあるような力を持つようだ。

現在の西洋医学では「外科手術・放射線治療・化学療法」しか扱わない。いわゆるエビデンス(科学的根拠)が整わないものは医療現場では扱わない。それ以外の要素は研究室のテリトリーだ。「免疫力」はガン発症の重大原因であることは分かっているが、現在の治療法の中には全くその名前が登場しない。西洋医学以外の代替治療と呼ばれる民間療法の中にはこの「免疫力」を表面に出す治療法があるが、公的に認知されていない、かつ健康保険の利かない治療法なので、中には評価の高いものもあるが、誰にでも受けられるものではない。

最近は以上の3大治療法に加えていずれ第4の方法になるだろうといわれている「免疫療法」の研究が盛んで、いろいろな成果が最新ニュースで取り上げられるようになった。私の治療通院先の静岡県立静岡がんセンターでも研究部門があって、この「免疫療法」を重要テーマとして取り組んでいるという。最近スタッフを増員して力を入れている。皮膚がんはじめ一部では画期的な成果を上げていることが発表されている。この人間の持つ「免疫力」をコントロールする研究が進めば、今の3大治療法の制限を一気に突き抜ける治療成績を上げるようになるのは間違いない。

人間の免疫力を自由にコントロールできれば画期的な治療法となるだろうが、今は研究段階を脱しない。新しい治療法が確立されるまでは、患者は自分のできる範囲で、自分の「免疫力」を上げる方法を試みることで、5年生存率などの数字に囚われない成果を上げることも可能だと思う。

2007年10月15日月曜日

がん患者が憧れる自然退縮

このブログの8日「5年生存率」の最後の方で「ガンといえども自分の細胞が変質したもの、いわば子供が不良になったのに似ている」と書いた。今日は素人考えではあるが、自分が考えているその考えを少し詳しく・・。

人の体は60兆個の細胞で成り立っているそうである。そして自分自身が60兆個の細胞の管理者である。身体中の筋肉も内臓も、髪の毛も皮膚もすべて整然とした管理のもとに(平均80年間も)生きる。ところが、ガンになるということは管理下にあるべき正常細胞が変質してガン細胞に変わり、管理者の言うことを聞かずに勝手に増殖を始めて周囲の正常細胞を破壊していく。ガン細胞も自分の身のうち、子供が不良とか引きこもりになるのに似ている。つまり、外的要因が関係するのは確かだが、管理者である自分に大きな責任があるのである。

子供が不良化した場合、そのまま放置をすれば家庭は崩壊する。自分に降りかかった災いの解決を他人にお願いするばかりでは簡単に解決はしない。この災いは自分の責任と自覚して、自分が主役になって、いろいろな試みをすることで解決の道を見つけることが必要のようだ。

10年前か、15年前か記憶は定かではないが、NHKのドキュメンタリー番組で「がんの自然退縮」を取り上げた番組があった。医者にも見離された何人かの末期がん患者が、不思議なことにあるとき突然ガンが消えるという現象を取り上げていた。そしてその人達の日常をカメラが追った結果、決定的な原因は分からないのだが、その人達に共通の背景は何らかの目標意識を持っていたり、ガンに負けられないという強い意志を持っていたことだった。

当時の私は働き盛りで、将来ガンになるということは想像もしていなかったが、一般的に死の病気だと思われているガンにこんな不思議な現象があることに強い興味を持ち、何回(2回か、3回)かのシリーズを初めから終わりまで見たことを記憶している。

最近、ネットで調べてみると、1993年にNHK教育テレビスペシャル『人間はなぜ治るのか』三回シリーズで「ガンの自然退縮」を取り上げて放送して教育テレビ始まって以来の大反響となったと・・・いう記載が見つかったので、多分それを見たのだと思う。

そして、自分がガンになってからもその時の放送が思い出され「自然退縮」という言葉が頭から離れることはなかった。
(長くなるので続く)

2007年10月13日土曜日

ラジオ体操

日本人が一生の内でいちばん多く聞く音楽は何だろうか?私はラジオ体操第一のメロディではないかと思う。
私にとっては遥か遠い小学生の頃から、サラリーマンをやめる3年前まで50年以上に亘って毎日のように聞いた。小学生の頃などは夏休み期間中まで、子供会で早朝6時頃だったと思うが近所のお寺でラジオ体操をさせられた。何回ぐらい聞いただろうか・・・と考えてみたけど想像もつかない。

サラリーマンになれば縁がないかと思えばそんなことはなかった。どこの職場へ行っても朝放送で曲が流され、強制的にラジオ体操があって、その後朝礼というスタイルだった。若い頃は眠気をかみ殺していやいや身体を動かしていたので、まるでダンスのようで、運動効果はなかったと思うが、中年を過ぎてからはラジオ体操で目が覚めて仕事をする準備ができるような気がするようになった。短時間の体操だが、身体が痛いほどに屈伸運動をすることで、体調が保たれたような気がして欠かせないものになった。そしてストレッチ運動の大切さはむしろ会社を辞めた最近の方が強く感じるようになった。

会社を辞めて自宅にいるようになってからは運動不足解消のためにウォーキングをしたり、適当にストレッチをしたり、JOBA等の運道具を使ったりしている。いつの頃からかサラリーマン時代のように再び毎朝ラジオ体操ができればいいと思うようになって、テレビの放送に合わせてラジオ体操をしたりしたが、やりたい時間と放送時間が合わずにやったり、やらなかったりしていた。CDを買ってくればいいのだが、それほどの優先順位ではないためかいつも忘れてしまう。今はある日たまたまYOU-TUBEで曲を見つけたので、午前中の好きな時間にパソコンで音楽を流して1日1回は昔のようにラジオ体操をするようになった。

私と同じように運動不足を感じている方は下記のアドレスをお気に入りに登録して、1日1回ラジオ体操をされると良いと思う。画像はいろいろな種類があるので好きなものをお選びを!
http://jp.youtube.com/watch?v=Wij1JULURjg

2007年10月11日木曜日

がん患者にはちょっとうれしいニュース2つ

直近の「情報スクラップ」のニュース(こちら)に「がんワクチン」と「エルロチニブ承認」のニュースがあった。現時点でガンを抱えている患者にとっては新しい医療技術や薬剤のニュースは砂漠でオアシスを見つけたようなうれしさがある。近づいてみれば期待したような水のないオアシスかもしれないけど、この期待は死ぬまでなくなることはない。

最初の「がんワクチン」のニュースは東京大学医科学研究所の中村裕輔教授のグループが開発し、かなりの確率で効果があったというものである。今年の日本癌学会で発表され、NHKのニュースでも紹介されていた。私は専門家ではないので詳しい原理は分からないが、ガンの目印になるような物質を体に入れることで患者の体の免疫細胞に「こういう悪者が体内にいるから、やっつけろ」という指令をすることによって患者の免疫細胞がガンをやっつけるように仕向ける薬のようである。免疫療法は体内の免疫細胞を取り出して培養してまた体内に戻すという大変な作業を伴うが、ワクチンであれば注射(または点滴)をするだけなので簡単に治療でき、将来有望な方法のように思える。まだ実用化には数々の難関があるようだが、実用化すれば今の抗がん剤に替わる化学療法になるのだろう。成功が待たれる。そしてノーベル賞につながるような現実的な研究になればよいが・・・。

もう一つの「エルロチニブ承認」のニュースもうれしい。エルロチニブはタルセバという名称の方が通りはいいだろう。7月27日と30日に承認のニュースが出ていたが、その続報である。どうやら年内には販売されそうだ。

これはイレッサと同じ種類の分子標的薬で、以前からアメリカから輸入して使用していた患者さんもいる。保険適用がないと、1錠12,000円ぐらいしていたと思う。毎日飲む薬なので、保険が適用されないと経済的に使えない患者の方が圧倒的に多い。国内での販売価格は未定であるが、イレッサ(保険適用前で7,000円台)と同じぐらいの価格で販売されるのではないかと思う。タルセバは他の抗がん剤や、イレッサが効かなくなった患者に効きやすいという実験結果があるようだ。私は今一般抗がん剤(ジェムザール)を使用しているが、ずーと使い続けられる抗がん剤があればよいが、薬剤耐性が出ることが多くなかなかない。従って次に控える薬剤の種類は多ければ多いほど心強い。

2007年10月10日水曜日

がんばれ!ヤンキース

私が高校生の映画少年だった今から50年前、「くたばれヤンキース」という映画があった。物語は野球ファンのある老人が悪魔と契約してものすごい強い選手に生まれ変わり、弱小球団に入団する。強いヤンキースを次々に打ち負かすという他愛のないミュージカルコメディだったが、結構面白かった。とにかくその頃は強い、強いヤンキースだった。

また、つい最近でもクリント・イーストウッド監督の映画「父親たちの星条旗」で、太平洋戦争中日本軍のいる硫黄島を攻略するために丘に星条旗を立てた兵士が国内に凱旋し、ヤンキースの選手が居並ぶ満員のヤンキースタジアムに登場して喝采を受けるというシーンがあった。縦じまのユニフォームやNYのロゴマークは今と同じだった。

ヤンキースは常に強いアメリカの象徴だという印象がある。ところが最近は7年連続でワールドシリーズ制覇を逃し、3年連続で地区シリーズでの惨敗というちょっと情けない状態だ。今年も地区シリーズでさえ優勝を逃し、やっとワイルドカードでプレーオフへ進出したが、それも第4戦で敗退してしまった。

10日の日本のスポーツ誌には「ヤンキース、松井放出か?」などというタイトルが目立つ。アメリカの新聞ではトーリ監督の去就が話題になっているようだが、監督が変わればトーリ監督に評価されて選ばれていた松井は来期はあやしいということのようだ。9日放送の最終戦で5回2死一塁の第3打席。松井秀喜は初球を簡単に打ち、平凡なショートフライに倒れた。そしてその直後、ブーイングがヤンキー・スタジアムを包んだ。今年の松井は派手さはなかったけれど、チームのために献身的に活躍したように思う。おそらくそのブーイングは、インディアンスの前に敗色濃厚だったヤンキースのチーム全体に向けられたものだったのだろう・・・と思いたい。いずれにしても、今年のヤンキースを表す象徴的な光景だった。プロスポーツは結果がすべての厳しい世界であることを思い知らされる。

ヤンキースはチーム作りにダントツの200億円以上の大金を費やしているという。にもかかわらず、昨季はタイガース、今季はインディアンスという低予算の格下チームを相手に、あまりにも完ぺきな形で敗れてしまった。
例年ヤンキースの敗戦は株価に影響するという。今年は敗戦でその株価が動かなかったということが話題になった。ヤンキースの再生は避けられないだろうが、今年ケガに悩まされた松井や、もう一つ調子が出ない井川には登場する機会はあるのだろうか?地球の反対側で見ている日本のファンのためにもぜひ日本人選手を参加させてもらいたいものだ。

2007年10月8日月曜日

5年生存率

5年生存率の新しいデータが発表された。(私の情報スクラップ)

ガン患者が告知をされるとき、病名や病状の説明と一緒に末期の場合は「余命」になるだろうが、そうでない場合はこの「5年生存率」を告げられることが多いようだ。ガン患者やその家族はこの「5年生存率」には複雑な思いがあるだろう。

私の場合2003年5月に「ガン告知」をされたとき、ガンに関する知識が全くなく、ガンと聞いただけで「死」が頭に浮かんだ。最初のときはガンの進行度がⅠ-B期と聞いてもそれがどの程度なのかが分からない。そこで「あと、どれだけ生きられますか?」と医師に尋ねた。そしてその医師は笑いながら初期であるということと「5年生存率75%」という説明をしてくれた。初期なら生存率がなぜ100%ではなくて75%なんだろう?と思ったが、何となくガンの程度としては軽いんだろう、そして25%の死亡者がいるということは再発しやすいのだろうかと考えたものだ。この%、まるで天気予報の降水確率のようだ。降水確率50%といわれても傘をもっていくのかどうか迷う。医療側から見ると、がん患者100人のうち5年後に生存している確率は意味があるだろうが、患者側から見ると自分ひとりの問題なのだから0か100しかない。

そして、心配したとおり手術から1年後に再発し、そのときはⅠ-B期からいきなりⅣ期になってしまった。再発のときは医師から5年生存率の説明はなかったが、Ⅳ期をデータで調べてみると3.1%である。再発を告げられたのが2004年8月だから3年たつ。今の状態ではお迎えが来る気配はないから、まだしばらくはこの世にいられそうだ。再発後5年の2009年8月までは生きて、3.1%の中に入ろうという目標ができた。
私の例で分かるように、一概にガンといってもその病状や経過のたどり方は多種多様なことが分かる。100人いれば100通りといわないまでもいろいろなケースがある。5年生存率の調査といってもそのいろいろなケースを細かく層別しているわけではないので、現在のデータは非常に大まかなデータだと言うことが分かる。
この種のデータに意味がないとは言わない。実測生存率とか相対生存率等に分けてデータの精度を上げるいろいろな試みはされているようだ。医療側はいろいろな医療技術の向上で生存率を上げるように役立ててもらえれば結構なことだ。

ただ、患者側はこのデータにあまり支配されないことだ。ガンといえども自分の細胞が変質したもの、いわば子供が不良になったのに似ている。更正の手段はいろいろ存在する。しかも他人(医師)まかせにすることなく、自分にもかなりのやり様がありそうだと最近思うようになった。つまり本人の気持の持ちようや努力の仕方で病状が大きく変わる・・と考えて行動することがプラスになるようだ。

2007年10月6日土曜日

がんばれ!日本のプロ野球

今日の松坂は残念だった。3失点だから責任範囲内と考えることにしよう。降板のとき観客からブーイングや罵声ではなく、暖かい拍手があったのは日本人としてはうれしい。来期は胸のすく勝ち方をして観客に応えてもらいたい。試合は9回2死からラミレスのレフト場外へ消えるサヨナラホームランでレッドソックスが勝った。中継は途中でなくなったが、しかし、あのビッグモンスターの上を越える場外ホームランというのはケタ外れで驚くばかりだ。

最近私の野球観戦はすっかり大リーグ主体になってしまった。それにしても今年の日本のプロ野球人気の凋落振りは心配だ。なにしろ巨人の地区リーグ優勝決定戦の中継がなかった位だ。こんなことは一昔前には考えられない。1年を通じて視聴率の落ち込みは目を覆うばかりだそうだ。これを大リーグ人気のせいにするプロ野球関係者がいるが、とんだ考え違いだろう。日本のプロ野球関係者が仕事をしない結果・・・だと思う。

例えば、私は疑問に思うのだがこれから始まるクライマックスシリーズ。これは一体何だろう・・と思う。リーグで半年もかけて決定した順位を1~3位のチームで再度決め直す。セリーグ3位のチーム(阪神ファンの方ごめんなさい)が勝ち上がって、パリーグ3位のチームが勝ち上がれば日本シリーズは両リーグ3位同士の戦いとなる。これでも勝ったどちらかが日本1になる。半年も戦ったリーグ戦は一体何だったんだろう。目先の興行収入ばかりを考え、筋の通らないことは長続きしないのではないだろうか。やはり日本シリーズは両リーグの1位同士のチームが戦うべきだ。興行成績を考えるなら、6チームを一緒にして同時に日本シリーズをやるべきだろう。

リーグを3つ(4チーム×3リーグ)に再編成して決定戦を充実させたり、サッカーのように1部、2部を作って入れ替え戦をしたり、いろいろな方法がありそうだ。従来のままでは人気の凋落に歯止めがかからないだろう。

最近、大相撲の体質が問題になっているが、日本のプロ野球も似たところがある。要するに経営する立場の者または組織が弱体なのだろう。環境の変化を敏感に読み取って常に先取りして変革をするのは会社経営でもスポーツ界の経営でも同じだろう。監督に外人が増えたが、むしろ経営陣に外国の実績のある経営者を入れて根本的にファンの楽しめる野球に変革する必要があるのでは?

2007年10月3日水曜日

定期健診並びにジェムザール6回目の点滴

昨日(10/2)は先々週9月18日(火)に続いて定期検診だった。同時に下記の検査結果の説明及び今後の治療方針。
9月21日(金) PET-CT撮影(半年に1度) 
ガンの動き及び肺以外(脳はMRI)への転移の有無を確認する。
9月25日(火) CT撮影(3ヶ月に1度)  
ガンの動きを詳細に確認するために行う。

朝病院に到着して、いつものようにすぐ採血とレントゲン撮影を行って、11:00の診察を待った。今回は上記のようにPET-CTとCT撮影を行ったので、その結果の説明と今後の治療方針の説明もある。予定時刻ちょうどに呼び出しのベルが鳴った。

診察結果
・PET-CTとCTとも前回と変化なし。
・白血球の数値は3,500と正常範囲(3,900~9,800)とやや低めだが、点滴は可能。
・好中球も異常なし。
・肝臓の数値等は正常値。
・レントゲン画像には異常は見られない。

心配していたPET-CTとCTの結果は「前回と比較して変化なし」だった。ガンが縮小することが望ましいが、変化なしでも最低限の安心は得られた。ジェムザールの効果は明確ではないが、ガン腫瘍が進展していないので、あと3ヶ月(今までどおり1週間おきで)継続する。

白血球はやや減少しているが、好中球も正常値なので本日の点滴は可能。診察後すぐ通院治療センターへ行って点滴の予約をする。1時間待ちなので早めの昼食をとる。ちょうど1時間後呼び出されて、吐き気止め30分+ジェムザール30分、両方でも1時間の点滴を行った。

2007年10月1日月曜日

今日から後半期

今日は10月1日。4月1日や1月1日などと並んで区切りの日。
サラリーマン時代は1月から12月の1年間以上に、4月から翌年の3月に大きな意味があった。1年決算の会社は3月の末が大切だが、10月も後半期のスタートとして重要な意味があった。数字目標や実施事項の施策などを部門ごとに作り、各階層ごとに発表したり、部下に通達したりした。リタイア後はこの種の呪縛から解き放たれたが、40年もこういう生活をすると今でも時々夢に見たりすることがある。

衣替えもこの日に行われる。といっても本社などは制服がないが、制服のある職場や工場などでは作業服などが今までの夏服から冬服に変わる。季節の変わり目を実感する風景だった。

10月1日で思い浮かぶこととして、赤い羽根共同募金がある。募金期間は10月1日から12月31日だという。街に出ると子供達や学生が赤い羽根募金を呼びかけるのも風物詩になっている。我が家の近所ではいつ頃からか分からないが、街角の募金だけでなく、自治会費の中から一括強制納入して、赤い羽根が各家に配布されてきたりする。

テレビの番組の編成が大きく変わるのが4月1日と10月1日なのも放送局が会社組織だからだろうか?この時期連続ドラマの多くが新しくスタートし、特別番組が多く放送されるのも年中行事になっている。

2007年9月29日土曜日

松坂投手、ご苦労様

今日は松坂のレギュラーシーズン最終戦。この半年、イチロー、松井と並んで大リーグでの日本人の活躍を楽しませてもらった。私のようにリタイア組で自宅で過ごす者にとっては朝放送される大リーグ観戦は大きな楽しみの一つだ。

「1億ドルの男」松坂は半年間苦しみ続けた。最初から最後までハラハラしながらの観戦だった。そうはいっても終わってみれば1年目からチームで唯一ローテーションを守り抜いた。これが一番大切なこと。調子のよしあしがあっても、首脳陣の期待に応えることができなければマイナーに落ちるしかない。それに加えて、日本人としてはいずれも野茂以来2人目となるシーズン200奪三振、200投球回に到達しただけでも、賞賛に値する結果だろう。地区優勝を決めた記念すべき試合でこれまた記念すべき15勝目を挙げたことは何かを持った選手であることは間違いないようだ。

戦前の予想は過剰なものが多かった。それは横浜高時代の甲子園や、国・地域別対抗戦・ワールドベースボールクラシックで診せたような「伝説」があるからだろう。いくら超人でも1年を通してすべて良い成績を残すことは難しい。本当に調子の悪いときもあったが、そうでなくとも8割ぐらいの力で長期間を見すえた省エネピッチングをしていたように見えた。大リーグは甘くはない。そこを何回もガツンとやられた。それでも週間朝日に自身が書いている連載などを読んでも、1試合ごとに現状を冷静沈着に実態把握ができている点はなかなかのものだ。来期は今年以上の数字が残せそうな予感がする。

日本では9月27日の広島・ヤクルト戦には広島・黒田博樹投手を見にアメリカから4人のスカウトが視察に来たという。来期はマリナーズあたりに黒田投手が登場すれば大リーグ観戦にまた楽しみが増える。

2007年9月27日木曜日

高齢者の運転

最近高齢者の運転が話題になる。暴走や高速道路での逆走などで事故を起こすことが多いからだろう。私も今年から65歳の高齢者の仲間入りをしたので、こういうニュースには人ごととは思えないところがある。自分の場合で考えてみると、確かに運動神経や反射神経などは若いときより落ちているが、通常の運転ではまだ不自由だと感じたことはない。ところが、これはあくまでも自己採点、高齢者本人は誰も自分から運転不適格と認める人は少ないようだ。軽い認知症などの病気にかかっても、家族がそういう人から免許証を取り上げるのは至難の業のようだ。

一方では危険運転は年齢ではないという思いもある。高齢者の運転と、若者の運転を比べると、実際には若者の運転のほうが、乱暴で無謀運転が多く、何倍も危険率は高いことが証明されている。高齢者も自分の若い頃を思い出せばよく分かる。格好をつけて無意味にスピードを競ったり、他の車に抜かれたりすると意味もなく悔しいことなどがある。多くの高齢者はそれがなくなり、無理をしない安全運転をするようになる。

それでも高齢者になると身体的な衰えだけでなく、各種病気になる確率は高くなる。車は便利な道具であると同時に凶器に変わることを考えれば、運転の条件は若いときと同じというわけにはいかないだろう。高齢者といっても個人差が大きいので、何歳になったらと線引きをすることはできない。免許更新の際の高齢者向けの試験を厳しくして、運転をする人をフルイにかけることはやむを得ない。

そして高齢者側も運転に不適格と自覚したら思い切って返還する勇気も必要だろう。地方自治体によっては高齢者が免許証を返還するとタクシーやバスなどの割引券を支給するところがあるようだ。

同時に環境問題のことを考えても、車社会からの脱却も考えても良いのではないだろうか?高齢者だけでなく、子供や車をもたない人も含め誰でも簡単に便利に利用できる新交通システムを全国に普及するといったプラン造りも必要のようだ。

2007年9月25日火曜日

室内で乗馬

夏やせという言葉があるが、私の場合は例年夏には必ず太る。暑さのために体を動かさないせいだろう。今年も例外ではなく2キロほど体重が増えてしまった。今年は抗がん剤治療をしていることもあって、余計体をかばうことも運動不足に拍手をかけたようだ。

そんなこともあり、運動不足対策として、8月にナショナルの「JOBA」を買った。テレビCMでもお馴染みの乗馬を模した運動器具だ。「エクササイズ」「ウェスト」「ヒップ」「脚力」「お好み」などのボタンがあり、選択によりそのゆれ方が違う。速度も変えられる。いずれも1回15分で止まるので、過度な運動にはならないようになっている。私の場合はそのうちから毎日4つのコース、15分×4回=合計で1時間やるように心がけている。付属のDVDを見ながら上半身のエクササイズもするようになっているので、15分続けると結構汗をかく。

宣伝文句ではウォーキングの倍の運動効果というのが謳い文句、効果のほどはある程度の期間をやらないと良く分からないが、テレビを見ながら気軽にできるせいか今のところ毎日欠かさず続いている。今までもいくつか運動器具を衝動買いしたが、いずれも長続きせず、近所の家に移動してしまっている。
あまり激しい運動ではないので、運動不足になりがちな高齢者には良い運動器具のように思う。但し、飽きずに続けば・・・だが。

2007年9月23日日曜日

異常気象

「暑さ寒さも彼岸まで」というが、今年は彼岸になっても異常に暑い陽気が続いている。我が家でも今日も暑くて冷房をしている。お彼岸に冷房をするのはあまり記憶がない。

「異常気象」というのは、「一般には過去に経験した気候状態から大きく外れた気象を意味し、台風や低気圧に伴う大雨や強風などの数日程度の激しい現象から、干ばつや日照不足など数ヵ月程度の現象が含まれる。また、それぞれの地点で過去30年間に観測されなかったような値を観測した場合」だそうだ。

最近はいつも世界中のどこかで異常気象に襲われたニュースを目にしているような気がする。WMO(世界気象機関)の統計では竜巻、高潮、熱波などさまざまな自然災害によって世界中で毎年25万人もの命が奪われており、500~1000億ドル(6.5兆~13兆円)もの損害が出ているという。
上のように定義されている異常気象も、最近のように頻繁に発生すると異常気象とは呼べなくなってきており、それが普通の現象となるのは怖い。これも地球温暖化が影響しているという意見の学者が多いようだ。

アメリカをはじめ先進国は温暖化対策より目先の対策に血眼になり、中国をはじめとする発展途上国は今まで先進国が行わなかった対策に真剣になるわけはなく、世界中が対策を先延ばしにしている。
ある時気がついたら、取り返しのつかない状態になっていたということになるのだろうか?まるで、SF映画のように。

お彼岸なのに異常な暑さに汗を拭きながらこんなことを考えた。

2007年9月20日木曜日

小さな訪問者

9月も半分を過ぎているというのに連日暑い日が続く。
今週は写真のような小さな訪問者があって賑やかだ。
横浜に住む次女が孫を連れて1週間ほどの予定で里帰りしている。ご主人には1週間ほど何かと不便をかけて申し訳ないのだが、私がこのような病気になっているので、孫の顔を見させることが最高の薬になるという考えでご協力いただいている。いつも感謝に絶えない。

孫は1年と2ヶ月になり、前回の訪問のときと違い靴を履くようになった。どこへでもスタスタと歩いていく。目に触れたものは何でも触り、そして口に入れる。家の中でも外でも決して一人で自由にさせることはできない。

家に来て早速リビングのテーブルの角に頭をぶつけて大泣きしたので、早速ホームセンターでテーブルやピアノなどの角々にはゴムのガードを貼り付けた。すると今度はそのガードを力任せにはがすことが面白いらしく片端からはがして歩く。正に話の通じないチビッコギャングである。

小さな子がいるといつもより来客も増える。笑ったといっては大騒ぎ、泣いたといっては大騒ぎ、常に中心にはこのチビッコギャングがいる。大人たちがこの子を囲んで大騒ぎをしているときはいつも平和である。

まだ会話はできないが、子供の笑顔というのはどうしてこのように大人に慰めを感じさせるのだろう。

子供の笑顔を眺めていると、正に"Relay of life"。命が続いていくんだなということを実感する。

今週は戦場のように賑やかだが、来週になるとまた静かな家庭に戻る。

2007年9月18日火曜日

定期健診並びにジェムザール5回目の点滴

本日は先々週9月5日(火)に続いて定期検診並びに5回目のジェムザールの点滴を行う予定。

前回に白血球はジェムザール点滴後約2週間後で元に戻ることが確認された。今日も果たして前回と同じ結果になるかどうか・・・。白血球が元に戻れば本日点滴を行う。

朝病院に到着して、すぐ採血とレントゲン撮影を行って、11:00の診察を待った。予定時刻ちょうどに呼び出しのベルが鳴った。

診察結果
・白血球の数値は4,100と正常範囲(3,900~9,800)内だった。

・好中球も異常なし。
・肝臓の数値等は正常値。
・レントゲン画像には異常は見られない。
心配していた白血球も好中球も正常値だった。2回連続で4,000を越える数値なので、ジェムザールに対する副作用の状況は把握できた。来週、PET-CTとCT撮影をして癌組織の確認を行うので、その結果を見て今後の治療方針を決める。


外来での点滴は通院治療センターへ行く。受付をしてから、1~2時間(混み具合で異なる)待たされる。順番が来るとポケベルで呼び出されるので、病院内ならどこにいてもよい。今日はゆっくり昼食を摂り、図書室で週刊誌など見ながら時間をつぶした。

ベッド、またはリクライニングシートがずらりと並んでおり、希望があれば選択できるようだ。ベッドならばテレビを見ることができるし、リクライニングシートなら本を読みながら点滴ができる。前回も今回も指定はしなかったが、リクライニングシートだった。

吐き気止め30分+ジェムザール30分、両方でも1時間で終わった。


2007年9月13日木曜日

安部首相の辞任にはびっくり

昨日の午後の安部首相の辞任のニュースには驚かされた。
ニュースや、特集番組などを見てもやめる理由がさっぱり分からない。ご本人の会見では「テロ特措法は絶対必要だ。小沢さんに会談を申し入れたが、断られた。自分が身を引くのが解決の早道だ」というような内容だった。やめる理由にはなっていない。議員や評論家を集めた特番でも、誰もが首を傾げるばかりで、これがやめる真相だ・・という決定的な理由は見つからない。

脱税説や、健康不安説まで飛び出しているが、どうやら首相就任前から腸の持病(それもかなりの難病)を抱えていて、本人はその都度何とかもつだろうと思っていたが、ここで急激に悪化した・・という説が真実に近いのかという感じだ。背景には次から次から襲い掛かる難題に気持が萎えてしまったということもあるだろう。もし、健康が理由ならば、その通り発表した方が影響が少ないように感じるが。 政治家の健康不安は表に出さないという不文律があるが、時と場合のような気がする。 【ちょっと前の情報→記事

それにしても、やめるタイミングはあまりに悪すぎる。小泉首相のときの安部さんは後継者としてあれだけ嘱望された若手の断トツナンバー1だったのに、この辞め方では後世に残るのは悪名ばかりであまりに気の毒だ。周囲にいて強くアドバイスをするような友人やスタッフには恵まれなかったのだろうか?

昨日ネットを見ていたら、「麻生太郎内閣総理大臣登場への期待から、アニメ関連株が高騰」などというニュースまで出ていた。麻生太郎がアニメオタクだからだそうだ。首相ともなると、「もうやーめた」ではすまない。日本だけでなく、世界にまで大小の影響が出るのだろう。

安部さんの涙ぐんでいるように見えるうつろな目を見ていると、この先日本はどうなっていくんだろうと不安を感じてしまう。

2007年9月10日月曜日

生きる

9月8・9日の黒沢リメーク版ドラマを見た。
両作品とも原作をなぞった忠実な作りになっていた。両作品とも時代を現代に置き換えているので、両方を見た人にはやや不自然な点も感じることがあるだろうが、そんなことは細かいこと、出演者も芸達者な俳優を揃えてよく仕上がったドラマだと思う。

「生きる」の感想。
この映画は2つの部分に分かれている。主人公ががんの告知を受け、余命を知って、役所を休んでヤクザと遊び回って今まで知らなかったことを一気に知ろうとしたり、元部下の天真爛漫な女性職員から何か人のために作り出すことを教えられるまで。ここでいきなり主人公の葬式場面になる。原作を見たときはあまりに早く葬式場面が出たのに驚いた。でも物語が進むに従って納得した。後半は葬式に出た個性的な人々が、主人公が公園を作るために孤軍奮闘する場面を回想で描いている。この構成は原作と全く同じ、実に巧みな描き方で見る人を引き込む。

この作品は「全国市長会推薦作品」にすべきである。最初の部分に市民の要望を「たらい回し」する場面が登場する。役所なのに自分たちで「休まず、送れず、働かず」などという。
舞台は昭和27年だが、今の役所はそれほどひどくはない。社会保険庁は例外として、お役所の対応はずいぶん改善されている。それでもときには「たらい回し」になることがあるが、それは縦割り行政のせいで、職員のせいではない。しくみの欠陥に手を入れない上層部の怠慢には腹が立つが。

重箱の隅をつつくようなことだが、原作は胃がんだったがドラマはすい臓がんに変わっている。これは50年前は胃がんは死の病気だったが、今は検査技術の発達で胃の全摘でも生きられる時代になったので、現代でも発見の難しいすい臓がんに変わったのだろう。

原作で志村喬が劇中で歌う「ゴンドラの歌」。ドラマで主人公が口ずさんで耳に残るが、今の定年前の50代男性でも、この歌を口ずさむだろうか?65歳の私にも相当古い歌だが。でもリニューアルで何の歌にすればよいかと考えるとき・・・あまり思いつかない。これしかないか?

この映画はトム・ハンクス主演でハリウッドリメイクが予定されているそうだ。

2007年9月8日土曜日

天国と地獄

最近、1週間ぐらい前からテレビドラマで黒澤明監督の「天国と地獄」「生きる」のリメイク版を放送するという予告がよくされる。今日と明日放送されるようなので今から楽しみだ。
私の年代は映画ファンが多い。私も例外ではなく、若い頃は平均以上の映画ファンだった。特に黒澤明監督の映画といえば他の監督とは一線を画した評価だった。「天国と地獄」(1963)は私が大学生の頃封切された。「用心棒」(1961)「椿三十郎」(1962)続いて公開された。黒澤監督は映画を時間と金を
かけて丁寧に作るので、年に1本のペースでしか発表されなかった。それだけに映画撮影中から新聞雑誌で大変な話題になり、封切りのときは大変な騒ぎになった。私もワクワクしながらバイトを休んで映画館の列に並んだのを覚えている。

「天国と地獄」といえば他の黒澤作品といろいろ違う性格があったのでよく覚えている。まずは時代劇の傑作を取り続けた監督が久しぶりに作った現代劇で話題になった。当時でも他の映画は殆どカラー(総天然色といった)になっていたのに、黒澤監督はモノクロにこだわった。そのなかでもこの映画は一部だけ彩色した部分がある。身代金を入れたかばんに薬剤を縫いつけておき、燃やすと煙に色が付くという設定で、この部分だけをモノクロ画面にマスキング合成でピンクに着色して話題になった。トランペットの音楽とともに、焼却炉の煙が突然モノクロからピンクになる画面が未だに目に焼きついている。スピルバーグ監督が「シンドラーのリスト」でその手法を借用して話題になった。

映画にも登場するが、当時幼児誘拐の罪が軽かった。未成年者略取誘拐罪で3ヶ月以上5年以下の懲役、営利略取誘拐罪で1年以上10年以下の懲役。監督はこのことを訴えることも映画製作の目的にしたが、一方で不幸なことに映画公開の後に都内を中心に誘拐事件が多発した。有名な吉展ちゃん誘拐殺人事件も犯人は逮捕後、『天国と地獄』の予告編を見て思い立ったと供述している。その他にも数件、この映画を模したと思われる事件が起こっている。国会でも問題として取り上げられ、刑法が現在の罪に一部改正されるきっかけになったという。

三船敏郎、仲代達也、香川京子、三橋達也、加藤武等々の芸達者な主役陣に新人山崎努が犯人役として抜擢されて話題になった。

2007年9月7日金曜日

人事も経理も総務も中国へ

9月3日放送のNHKスペシャル「人事も経理も中国へ」には考えさせられた。私はサラリーマン時代は製造業にいたので、生産現場が中国へ移転する話はいやというほど見せられた。そして多くの生産現場が下請工場とともに日本から消えた。この放送は人事、経理、そして今までは決して外国に出すことは無理だといわれた総務までもが出ていっているという現実がテーマだった。

放送ではカタログ販売で有名なニッセンの総務部を舞台として、総務仕事の一部を大連の会社へ移す過程を導入の計画段階から実施までをカメラが追った。担当役員からこの命題を突きつけられて拒否反応を示していた課員が、尻を叩かれながら、いやいやながらも仕事をマニュアル化し、OA化することで中国移転を可能にしていく様子が映し出される。実際の話なのにドラマのように切実感があった。中国側の受け入れ体制も想像を超えている。日本語を訓練された大学卒の優秀なスタッフを多数揃えていて、今や現実に日本の企業の2,500社が事務仕事を移しているという。企業にとってコストダウンは避けて通れない。中国の人件費は日本の5分の1、企業がそこへ目をつけないわけがない。そして知恵のある一つの会社が何かの手段を成功させると、右にならえで一斉に真似をするのも日本企業の特徴だ。

この放送を見ながら、少々複雑な気持になった。生産現場も、人事も経理も総務も中国に移してしまったら、会社の実態は一体どうなるのだろう。私達の孫の世代が成長した頃には勤める職場が果たしてどのくらいあるのだろうか?これからはグローバル化の時代だから、発想を変えて学生の頃から留学して、仕事の舞台は世界中になる時代がくるのかもしれない。

とはいっても国内の職場の絶対数が少なくなれば、今以上の格差が開く恐れはないのだろうか?農業政策もそうだが、必要なものは国が舵取りをしなければ、将来の日本はどうなってしまうのだろう?

2007年9月5日水曜日

定期健診並びにジェムザール4回目の点滴(再)

昨日は定期健診日だった。

先週28日(火)は検診並びに4回目のジェムザールの点滴を行う予定だったが、白血球の低下で抗がん剤点滴を断念した。昨日は前回の点滴から2週間経ったので、白血球が元に戻れば点滴を行う。

朝病院に到着して、すぐ採血とレントゲン撮影を行って、11:00の診察を待った。昨日は主治医のY先生が出張でM先生の代診だった。予定時刻ちょうどに呼び出しのベルが鳴った。

診察結果

・31日に行ったMRIの結果は異常なかった(頭部への転移なし)。
・白血球の数値は4,130と正常範囲(3,900~9,800)内だった。
・好中球も異常なし。
・肝臓の数値等は正常値。
・レントゲン画像には異常は見られない。

知人から戴いた健康飲料がよかったのか、白血球も好中球も正常値に戻った。ここのところ低い数値が続いていたので、4,000を越える数値は久々だった。

外来での点滴は通院治療センターへ行く。ベッド、またはリクライニングシートがずらりと並んでおり、希望があれば選択できるようだ。ジェムザールの場合は吐き気止め30分+ジェムザール30分、両方でも1時間で終わる。

2007年9月3日月曜日

白血球を増やす食材

横浜に住む娘が骨髄抑制に苦しむ私のことを心配して、白血球に関するサイトを探して送ってくれた。

白血球の数値を上げる食材があれば、すぐにでもトライしたいのだが、主治医の先生にも「残念ながらそのような食材はない」といわれたくらいなので、あまり医学的に根拠のある情報は見つからない。

送られてきたサイトの内容を読むと実験では「ニンニク、しそ、たまねぎ、しょうが、キャベツ、長ねぎ」などが良いとある。日ごろ摂取している食材が多いし、幸い特殊な食材ではない。効果の程度が試験管の中だけの微量なものなのかもしれないが、心がけても害になるようなものはないようだ。このような食材を常にメニューに加えるように家内に依頼した。

他にも記事にある注意事項等は心がけて悪いことはない。
この種の記事や情報があるということは同じような悩みを持つ人が多いということの裏返しだろうか?

白血球を増やす食材
http://www.asahi.com/health/jhcolumn/030830/030830d.html
http://skrsk.blog39.fc2.com/blog-entry-32.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1658278.html

日光浴も白血球を増やすのによいらしい。http://www.geocities.co.jp/Milano/1286/nikkou.html


白血球の数値が下がったら気をつけることhttp://blog.goo.ne.jp/setoyamaosm/c/acdd581cd91b95f5842fa42f182dee1d

2007年9月1日土曜日

姫井先生と横峰先生

昨日は定期健診ではないががんセンターへ行った。半年に1回のMRIの予約日だった。頭部への転移の有無を確認するためである。予約時間は9:00で朝一番なので早めに呼ばれ20分ぐらいですべてが終了した。結果は定期健診の際説明される。

早く終わったので、病院内の図書室へ寄った。ここの図書室の蔵書はガン関連の書籍が中心だが、他にも新聞とか週刊誌、雑誌、一般書籍も結構あるので待ち時間などによく寄る。今日は固い本はやめて週刊誌をぱらぱらと見ていたら、先日の参議院選挙で初当選した民主党の姫井議員と横峰議員のスキャンダルが週刊文春と週刊新潮に大きく取り上げられていた。

「姫のトラ退治」で有名な姫井先生、自民党への逆風に乗っかり、大物の片山虎之助先生を破ったのですっかり有名になった。でも、このスキャンダルはまずいでしょう。この記事は不倫相手の元高校教師が手元に持っている長期間のツーショット写真を洗いざらい週刊誌にぶちまけて、その写真が何枚も掲載されている。週刊誌の記事は大半は信用できないことが多いが、写真は嘘をつかない。これだけ証拠を見せられたら信じざるを得ない。姫井先生ちょっと偉くなったので、生真面目な年下の不倫相手を冷たく袖にした結果、相手の深い恨みを買ったようだ。一見可愛く見えるこの先生、顔に似合わず大胆のようだ。刑事事件ではないものの、国政に携わる者としてはこのスキャンダルは議員活動に支障をきたすことは間違いなさそうだ。さて、この結末は?

もうひとつの横峰先生のスキャンダル、記事が出てから懸命に否定して週刊誌を相手取って訴訟など起こしているようだが、このお方は元々その程度のお方、じたばたしても運命は尽きている。娘の七光りでテレビに登場した当初から、どう見ても国政は似合わない胡散臭さを漂わせたお方。 今このふたりに投票した人は後悔していることだろう。

大体、衆議院にも杉村某という似たような議員がいるが、このような品格のない議員に国政を任せなければならないことが悲しい。国政の舵取りはそれなりに見識や品格を持った人物に任せたい。こういう人を選ぶ国民の側の問題だという人もいるが、党が公認する以上は国政を担うことのできる最低限の資格を持った人に限定してもらわなければ国民だって分からない。そして、間違って当選したのなら、一刻も早く退場してもらいたいものだ。

2007年8月30日木曜日

免疫システムのしくみ

人間の体は約60兆個の細胞でできており、そのうち免疫システムを担う免疫細胞は約1兆個、重さにして約1kgほどになる。その免疫細胞も1日に100億個が入れ替わる。体内を流れる血液にも多くの細胞が存在する。人間の身体を守っている「免疫」という自己防衛システムにおいて、重要な働きをするのが白血球。この白血球には「顆粒球(好中球、好酸球、好塩基球)」と「リンパ球(NK細胞・T-細胞・B-細胞)」と「マクロファージ」があり、それぞれ60対35対5の比率になっている。その自己防衛システムの役割は顆粒球は大きなサイズの異物を食べて処理し、リンパ球はウイルスなどの微小なサイズの異物に対して抗体と呼ばれるタンパク質を使って攻撃し、マクロファージは異物の浸入を顆粒球やリンパ球に知らせる役割をもつ。

以上は人間の体内で免疫システムがどのように働いているかのごく一部を抜粋したものである。こういう文章を読むと、自分の体内ではミクロ単位のいろいろな細胞が複雑な働きをしていることを知り驚くばかりである。

自分がガンという病気にかかったのも、免疫システムに不具合が生じた結果であり、今治療中の身で白血球やその中の好中球の減少で悩まされているのも、これまた免疫システムが抗がん剤で新たな不具合を生じている結果だと思うと複雑な気持だ。

複雑な免疫システムを詳しく知ってもどうなるものでもないが、今健康な人はどうすれば病気を予防できるかのヒントぐらいは掴めるはずである。情報スクラップにリンクを貼らせていただいた。ややこしい専門用語は出てくるが、読みやすく書かれているので、一度はお読みになることをお勧めしたい。

情報スクラップ「免疫システムを知ろう!」

2007年8月28日火曜日

定期健診並びに4回目の抗がん剤

先週21日(火)は検診並びにジェムザール(1・8・15日)の内の15日目の点滴を行った。その前週が白血球の低下で抗がん剤点滴を断念して3回目を行い、今日は先週から1週間しか経っていないので、白血球が元に戻っているかどうか不安だ。

朝病院に到着して、すぐ採血とレントゲン撮影を行って、11:00の診察を待った。今日は主治医のY先生の診察。予定時刻ちょうどに呼び出しのベルが鳴った。恐る恐る診察室に入った。

診察結果
・白血球の数値は2,300と前回より低い。
・好中球は基準値より低い。
・肝臓の数値等は正常値。
・レントゲン画像には異常は見られない。

好中球が低いと、抵抗力が低く感染の危険が大となるので、本日はジェムザール点滴を行うことはできない。案の定、1週間では白血球は元に戻らないという結果だった。

今までの骨髄抑制が強く出る傾向は長期間抗がん剤を連続しているせいかもしれない。従ってどこかで骨髄を休めることもことも必要と考える。取りあえずは1週おきにジェムザール点滴を行う方針で行って、9月の末に行うCTの検査結果をみてその後の診察計画を練り直す。現時点では次週火曜日に再度血液検査+点滴を予定する。

2007年8月25日土曜日

チャイナフリー

先日ニュースでアメリカのある健康食品会社が自社の商品に「China free(中国産品は使っていません)」のシールを貼り付けている映像が流れたが、これには驚いた。その会社の製品価格は同等の商品より2~3割高いが、人気は上々だという。安値で世界を席巻したかに見える中国製品も赤信号のようだ。

最近は暇があるので家内の買い物に付き合い、スーパーへよく行く。家内も大分以前から中国製品には恐怖心を持っており、必ず商品の裏を見て「中国産」という表示を見るとすぐ商品棚へ戻した。それを見ながら、私はその表示は信用できるのか?とつぶやく。なぜなら、今中国製品の輸入量は想像を越えている。表示は消えても、物が消えるわけはない。現状は残念ながら中国製品なしでは日本の製造業も商業も飲食業も成り立たないはずなのだ。

私の子供の頃、海外に輸出される「Made in Japan」という言葉は「安かろ悪かろ」粗悪品の代名詞だった時代があった。それが今では日本製は世界に誇れる商品を多数を持つようになった。欧米の映画を見ると登場するカメラには殆ど日本の会社のロゴが入っている。一般家庭の中には日本製の電気製品や車も欧米と肩を並べて登場している(やや韓国製品に押され気味だが)。映画の舞台で日本料理店が普通に登場するようになったのはここ2、3年のことだ。粗悪品の代名詞から地位を確定するには50年とか、60年とかの年数がかかるのが普通のようだ。

今や中国は世界の工場だということは動かしがたい。品質保証だけでなく、安全や環境に対するコストはかけるということを要求しなければならない。あれだけの人口の国、人件費は容易に上がりそうもないが、諸々の技術で先輩として日本が助けることはまだたくさんありそうだ。

2007年8月23日木曜日

思いがけないプレゼント

昨日、私の病気のことを心配した知人からうれしいプレゼントが自宅に届いた。体に良いとされる漢方薬や食品を組み合わせて作ったお手製の健康飲料である。

ベースは紹興酒と梅酒でそこに漢方薬として有名な梅花鹿(バイカロク)の角と当帰、加えてわさびの葉、蜂蜜を溶かし込んだ自家製の健康飲料である。

梅花鹿の角は高級漢方薬として有名で、主として強精、強壮、老化防止、免疫力アップ等々の薬としてよく耳にする。同じく当帰(漢方)も漢方薬として有名で、当帰芍薬散、大全十補湯、加味逍遥散などに含まれるようだ。昔から家庭薬として、主として婦人系疾患の薬として有名だ。

二つの漢方薬は大きく括ると滋養強壮ということになるが、細かくみると具体的にはいろいろな効能が伝えられている。私の場合、その中で最も期待しているのは造血作用(赤血球・白血球・リンパ球)に効果があるとおいう点である。抗がん剤の治療において副作用で散々骨髄抑制にダメージを受けているが、食品による改善は期待できないので、何千年の歴史をもつ漢方にその効能があ ればありがたい・・と期待している。

わさびは静岡県が生産地なのでその効能は良く知っている。かつて文芸春秋のグラビアで紹介されたことがある湯ヶ島温泉のある旅館には何度か行ったが、そこの90歳になる有名女将から生わさびの効能はよく聞かされた。殺菌作用、血栓予防作用の他に抗ガン作用もあると教えられている。温泉に行くたびに生わさびを買って帰る。

蜂蜜はオーストラリア・ブリスベン市で製造されたもの。蜂蜜は各種のビタミン、鉄分を含んだ栄養源であることはもちろんのこと、抗酸化作用、殺菌作用、整腸作用などをもち合わせた自然健康食品。
これだけ強力な成分で作られた健康自然食品は手に入れたくても手に入らない。
数々の効能に期待をするのはいうまでもないが、それ以上に手間をかけて作ってくれたその思いやりがありがたい。

そのありがたさを感じながら、早速昨日から食前に飲用している。

2007年8月21日火曜日

定期健診並びに3回目の抗がん剤(再)

先週14日(火)は検診並びにジェムザール(1・8・15日)の内の15日目の点滴日だったが、白血球の低下で抗がん剤点滴を断念した。ジェムザール点滴は通常(1・8・15日)の3回点滴で1週間休みというサイクルが標準治療だが、私の場合は骨髄抑制が強く出るので、2回点滴+1週間休みのサイク
ルで試みようという旨が先週説明された。

朝病院に到着して、すぐ採血とレントゲン撮影を行って、11:30の診察を待った。今日は主治医のY先生の診察。予定時刻少し前に呼び出しのベルが鳴った。恐る恐る診察室に入った。

結果は
・白血球の数値は3,200と前回より回復している。
・肝臓の数値等も正常値。
・レントゲン画像には異常は見られない。

ということで、本日3回目のジェムザール点滴を行う。1週間後の来週の火曜日も同じように採血を行って正常値ならば今日と同じように4回目の点滴を行う。

効果があるかどうかは別問題だが、抗がん剤の点滴が行えないのでは話にならない。今日は取りあえず点滴をすることができて一安心、胸をなでおろした。効果の確認は9月末に行うCT、PET-CTで行う。

2007年8月18日土曜日

酷暑の夏

日本全国の異常な暑さが連日のトップニュースになっている。40度を超える気温も今では珍しくなくなっている。40度の気温は経験はないが、体温を超えているんだから長い時間は室外にはいられないだろう。

伊豆長岡温泉は近いので、家内と日帰り温泉に時々出かけるが、そこには低温(50度)のサウナがあって、1回15分ぐらい我慢をして、時間を置いて2~3回入る。気温40度といえばそのサウナよりちょっと低いだけだからその異常さは想像が付く。

私の住む地域はさすがに熊谷ほど暑くはないが、それでも連日例年より気温が高いような気がする。

先日のブログで夜はエアコンのない部屋に寝ていると書いたが、昨日はさすがに汗をびっしょりかいて目覚めたので、たまらず昨夜からはエアコンのある部屋へ布団を運んだ。ニュースで高齢者が室内にいるのに熱中症で死亡したというニュースを聞いたことも気になったこともある。あまりやせ我慢はしないことにした。

とにかくここのところ、通常の夏の暑さを超えていることを実感している。やはり温暖化等々の地球の異常の現れの一環なのだろうか?

2007年8月16日木曜日

祭りのあと


先週末はいつも静かな我が家も年に何度かの賑わいを見せた。二人の娘も帰省し、孫も4泊ほどした。他にもお墓参りに来た親戚が何組か私のお見舞いに寄ったり、知人が訪れたり、千客万来だった。


孫が前回我が家に来たのは私の入院中だったが、そのときはようやくつかまり立ちの状態だったが、今回は1歳と1ヶ月なので、ちょこちょこと家中を歩き回る。大騒ぎをしながら誰かが追い掛け回し、いつも賑やかだった。お客さんが集まっても、いつも主役の座を占めるのはこのおチビちゃんである。

一昨日は娘と孫を三島駅まで送り、私の通院の帰りには家内と2人で三島大社へ立ち寄ってお参りをした。一昨日の夜から昨日にかけては「祭りのあと」の状態になった。それにこの猛暑と検診の結果が重なって、すっかり脱力感に襲われた。そんなことから昨日まではパソコンを開く気にもなれなかった。
今日は休み中に撮影したデジカメ写真を整理しているうち、殺風景なブログの飾りとして、いつものジジバカぶりで一昨日撮影した孫の写真を載せる気になった。もう少し大きくなると「勝手に私の写真を使わないで」などと叱られそうなので、使えるのは今のうちだけだろう。ちなみにこの孫は時々外で「僕ちゃん」などといわれるが女の子である。

2007年8月15日水曜日

定期健診並びに3回目の抗がん剤

昨日14日(火)は検診並びにジェムザール(1・8・15日)の内の15日目の点滴日だ。
1日目と8日目は入院で実施したので、今日は始めての外来による点滴となる。

検診時間(11:30)より1時間ほど早く病院に入り、採血とレントゲン撮影を行った。混雑している割りには両方ともスムーズに終わり、時間まで陽だまりダウンジでコーヒーを飲んで過ごした。

予定時間をやや過ぎて11:40頃呼び出しを受けて診察室に入る。入院中お世話になったI先生から説明があった。

本日採血した血液の白血球数が2,620と少ない。好中球も少なくなっているので本日予定したジェムザール点滴は見送る。今まで2回行ったが、1週間間隔をあけて、来週採血結果を見て本日予定した点滴を行う。

ジェムザールは副作用は弱いとはいえ、骨髄抑制の副作用がある。残念ながら1週間延期をせざるを得ない。抗がん剤の副作用によって、抗がん剤を継続できないというのは薬の効能以前の問題なので、誠に残念なことだ。

2007年8月11日土曜日

エアコン嫌い

私のエアコン嫌いについては一昨日書いたが、その続きを・・・。私はどういうわけか、エアコンをかけた状態で寝入ることに恐怖心がある。何となく風邪を引くのではないかと思うせいだろう。だから、私の・・というか夫婦の寝室だけには未だにエアコンはない。そして暑さを嫌う家内はエアコンのある部屋へ逃げてしまって久しい。私のような高齢者の体は夏は暑く、冬は寒いという環境の中に何十年も慣らされたので、文明の利器で暑い夏に無理矢理に寒くすることに拒否反応を示すのだろう。

それでも一時期、東京で単身赴任した時期に夜エアコンをして寝た時期があった。それは仕事で東南アジアに行った後だった。6月に何箇所か回る途中でタイのバンコクとマレーシアのクアラルンプールに何泊かした。その時のホテルの冷房は熱帯地域だけに半端ではなかった。一晩中、ガンガン冷やして、寝具を肩からかけないと寒くて寝られないほどだった。そのせいで快適に眠ることができた。暑い場所の生活の知恵である。その後日本に戻って夏に入ったので、しばらくはエアコンをかけて寝た時期があった。でも、寒いほどに冷やせばいいのだが、日本では真夜中はそれほどの暑さではないので、そうはしない。何時間かたったら消えるように設定するのも方法だが、それも面倒で、またいつの間にかエアコンを切って、汗をかきながら寝るようになった。

子供時代にはもちろんエアコンなどなかった。どこの家でも風を入れるために窓も開けて寝たものだ。でも、今は日本全国防犯上の理由でとても窓を開けたままは寝られない。こんな田舎でさえ、どこそこに空き巣が入ったなどという話を聞く。今は年寄りでも簡単に殺されてしまう時代なので、2階でもしっかり窓を閉めて寝る。これも昔とは変わってしまったことのひとつだ。

2007年8月9日木曜日

暑中お見舞い

7日に退院し、3日目になる。その後抗がん剤の副作用らしきものは感じない。最初の頃は手先のひびれがあったが、それもいつの間にか軽くはなっている。問題は骨髄抑制だが、これは自分では分からない。入院中も体調がよいのに白血球の数が減っているということがあった。自覚症状はないし、自宅療養で白血球を増やす対策などもないので困る。

それにしても毎日暑いですな。自宅にいるときは普通の生活をしても良いといわれるが、自宅に帰った途端にこの猛暑である。散歩なども控えざるを得ない。あと1ヶ月ほどは暑さに耐える生活が続く。暑さはエアコンで防げるのだが、私は元々エアコンが嫌いなので困る。サラリーマン時代は周囲に合わせるのに慣れて、それほど苦にはならなかった。寒いと思うときは上着をはおっていた。

家では家族が暑いというときに自分だけ寒いと言ってよくもめた。

子供時代はエアコンなどなかったので、汗をかきかき、ウチワであおいだものだ。そんな時に風鈴を鳴らして吹き抜ける涼風が実に気持よかった。エアコンでガンガン冷やすよりも、暑さの中の一瞬の涼風の方が何倍も心地良い。それにしても、そんな時代は子供だったので分からなかったが、多分大人の世界では仕事の能率はガタ落ちだったのだろう。
それにもう一つの風物詩、7月になると、夜に蚊帳(かや)をつるのが子供心にうれしかった。蚊帳の中は別世界でよくはしゃいで母に叱られたのを覚えている。蚊帳を知る世代は今60代以上だろうか?

2007年8月7日火曜日

【入院第16日 本日退院】

ジェムザール2回目点滴2日目 

今日は予定通り午前中退院した。
ジェムザールの副作用はこれから出るのかどうかだが、今のところ感じられるものは何もない。この薬は通院で投薬可能なので、しばらくは入院はなさそうだ。

朝、家内が来てくれて会計もすべて済ませた。病院は自宅から車で30分の場所にある。従って外来検診の時は自分で運転して車でくる。ところが不便なことに家内が30年来のペーパードライバー、私が入院すると不便なことこの上ない。電車を乗り継いで、バスを使って病院まで来るのに倍以上の時間がかかる。着替えなど持って、ほぼ毎日のように来てくれるが、これが大変な労力になる。最近私が入院がちになっているので、家内が再び車の運転に取り組もうという気になっているようだ。教習所のペーパードライバーコースにも通い始めている。
50代後半なので、運転できてもあと10年位だろうが、自分で運転できればまた楽しみも増えるだろう。特にこの辺は大都市圏と違って、すべてが車社会になっている。買物も食事も娯楽も車がないと利便性は半分しか享受できない。

今からできるのかどうか心配もあるが、物事に挑戦することは良いことなので全面的に応援している。

2007年8月6日月曜日

【入院第15日】

ジェムザール2回目点滴日

朝採血した。9:00頃病室のモニターで結果を見ると、白血球が2,170で前回よりさらに下がっている。これではジェムザールがいくら副作用が弱いといえども今日予定している点滴は中止になるのか・・・と思っていたら、I先生が病室に見えて、今日予定通り点滴を実施するという。私の心配そうな表情をみて、「ジェムザールは単液による点滴なので、こういう症状の人にも適用できるのが長所」といわれた。

この抗がん剤でさえ恐れていたら、私にできる抗がん剤はなくなってしまうだろう。積極果敢に挑戦しよう(やや、おおげさ?)という気持になった。

午前10:00 点滴開始
①カイトリル(吐き気止め)100ml(30分)
②ジェムザール225ml(30分)

今後の予定 明日午前中に退院して、1週間後14日外来にて3回目の点滴を行う。3回点滴を行ったところでPET、CTで効果の確認をする。転移の有無の確認にMRI検査も行う。

2007年8月5日日曜日

【入院第13~14日】

点滴6~7日
今日もジェムザールの副作用はない。明日朝採血するので骨髄抑制の結果がどうなっているかが分かる。

インターネットの資料で調べるとジェムザールにも副作用として骨髄抑制があると書いてあるので油断はできない。先生の説明では副作用は全体に前の抗がん剤より弱いと言われたので、骨髄抑制も相対的に出方が少ないのだろう。

http://www.gsic.jp/medicine/mc_01/03/index.html
  ↑ この資料が細かい内容が載っているので抗がん剤について知りたい方はどうぞ。

予定では明日ジェムザール2回目の点滴をして異常がなければあさって7日に退院する予定だ。

骨髄抑制について私が特異な体質なのかというと、どうもそうではないらしい。同じような症状の方は同時に入院されている方にも多いようだ。入院中白血球が下がると、ドアが閉められ、表に「入室の際はマスク着用」という紙が貼られるのですぐ分かるのだが、あちこちに結構多く見かける。

そんな話をすると看護師さんにも「私も白血球が少ないんです」という人が2人もいた。「あなたもこちら側に来ないように注意しなければ」とつい余計なことを言ってしまうので、嫌われているかもしれない。

2007年8月3日金曜日

【入院第12日】

点滴5日目

点滴して5日目になるが、ジェムザールの副作用と思われるものは殆ど感じられない。体調は明らかに日々良い方向に向かっている。これはジェムザールの副作用が前の抗がん剤よりマイルドなせいだろう。心境は複雑である。
これで効果が良ければいうことはないのだが・・・。


ところでお気づきの方もいると思うが、「tamyのつぶやき」のトップページのいちばん下に「おまけ」をつけた。「YouTUBE」からお借りした動画である。ここには1週間に一度位、お笑い関係とかユーモアのあるような動画を掲載することを考えている。

少々気になるのは「闘病記」という性格のサイトにはそぐわないと感じる方がいるのではないか?ということである。この欄を追加しようとしたのは次のような背景に基づく。

毎日このサイトを覗く200~300人の方々は、100%近くがご自分がガンの方か、ご家族にガン患者がおられる方々だろうと推測している。
自分が同じ病気を抱えているだけに「闘病記」を覗く時は暗~い気持になっている。そんな方々が少しでもほっとする、慰められる一瞬があったら・・・という気持から載せることにした。

厳しく言えば、その役目はこの種のサイトではない・・ともいえるが、中途半端なものではあるが、見る人が楽しいと思えるならばそれなりの役割を果たすだろうと思う。いちばん下に遠慮勝ちに掲載したので、この種のものが嫌いだったり、見たくない人は無視してくれればよいとも思う。

2007年8月2日木曜日

【入院第10~11日】

点滴3~4日目
点滴して4日目になるが、ジェムザールの副作用と思われるものは殆ど感じられない。31日に出たオデコのかゆみも薬を付けたら次の日には治まった。朝夕に先生方が回診に見えるが、看護師さん方から情報が入っているせいか、ひとこと「異常はないようですね」といって去っていく。

東海地方は1週間前に梅雨明け宣言がされたが、関東では昨日ようやく梅雨明け宣言がされたようだ。
子供の頃、梅雨明けは豪雨が降って、雷がなると梅雨明けだと思っていた。最近はその境目ははっきりせず、大分過ぎてから1週間前のこの日が梅雨明けらしい・・などという発表の仕方が多いようだ。天候も昔とは様相が変わってきたのかもしれない。

梅雨は春なのか、夏なのかよく分からない。そういう意味では春夏秋冬の四季とは違う別の季節のような気がする。そういう意味では五季ともいえる。とはいっても、北海道には梅雨はないのでそういうわけにはいかないが。

2007年7月31日火曜日

【入院第9日】

点滴2日目

ジェムザールを点滴して、今日で2日目になる。副作用は軽いとはいってもそこは抗がん剤、油断はならない。

先生の考えでは、私の場合昨日ジェムザールの点滴を開始するのにあたり、白血球の数値が3,110と低い状態で強行しているので副作用の経過を見る必要があるため、入院をこのまま延長して来週の月曜日2回目の点滴を行って、異常がなければ翌日退院ということで考えているようだ。(その後は通院による点滴となる)自分も副作用の出やすい不安な状態で自宅にいるなら、病院にいる方が安全なのでそれを聞いてひと安心だ。

ジェムザールの副作用として、皮膚疾患があるようだ。そういえば昨夜からオデコのあたりに痒みがあり、赤くなっている。これが副作用か?以前もらったデルモベート軟膏をつけるように指示された。その他の変化はない。

2007年7月30日月曜日

【入院第8日】

今回の入院はカルボプラチン+パクリタキセル第3クールのために入院したが、血液障害の副作用のため中断し、今日からゲムシタビン(ジェムザール)の治療に変更する。

朝の採血で白血球の数値は3,110と低かったが、上昇傾向にあるということでジェムザールの点滴は予定通り行うという。

午後3時頃から点滴を行った。
吐き気止めの点滴(30分)+ジェムザール(30分)
合計でも1時間なので前の点滴(約5時間)よりは随分楽だ。従って、通常は入院ではなく、通院で行うようだ。私の場合も2回目以降は通院になる。

2007年7月29日日曜日

【第3クール第6~7日】

金曜日と土曜日の夜は外泊のお願いをして、自宅に帰った。土日には周囲の人は外泊をする人が結構いるが、私は今回が初めてだ。というのは毎回短期の入院なので、すぐ退院できるということと、仕事を持っているわけではないので、家にいても病院にいてもやることは大差ないからである。
ただ、今回の外泊はは2つの理由がある。ひとつは土曜日の夜のアジア杯の3位決定戦を見たかったこと。もうひとつは日曜日の参議院選挙である。

サッカーの試合は先日の準決勝も消灯後に病院で見させてもらったが、家で遠慮なく見たかったので外泊とした。結果はご承知のとおりで、選手も疲れただろうが、見るほうも疲れた。「なぜ今の選手はゴール前で、パスばかり回すのか?」。他の選手に遠慮し過ぎるのかどうか「点を取る」という大きな目標を忘れている。がむしゃらに俺が俺という気持を前面に出さなければ、次のワーフドカップも予選さえ通らない。

日曜日の選挙については、今回の選挙はいつもと大分風向きが違う。今回は政権選択の選挙ではないといっても、有権者は長い間の自民党政権と馴れ合いの役人天国の悪い面を何とか変えてもらいたいという意思表示のスタートになる意味のある選挙だろう。

阿部首相に罪はないが、自民党支持者にも今回は「お灸をすえる」という人が実に多いようだ。といって次の衆院選あたりで民主党に政権を与えてもその能力に不安を持つ人が多いので、できるだけ早く自民党+民主党をガラガラポンして、アメリカやイギリスのような健全な2大政党制を望む声が多いのではないだろうか。そうしなければ、今のままでは日本はどんどん落ち込んでいくという不安が蔓延しているように思える。

2007年7月27日金曜日

【第3クール 第5日】

予定通り朝いちばんの採血をした。

朝の回診の時、Y先生から「今日の結果で白血球の回復がなかったら、これ以上体を痛めることはできないので他の抗がん剤の検討をします」といわれた。
その1時間後、病室でモニターを見たら血液検査の結果が出ていた。白血球の結果は残念ながら前回より悪く2,840だった。

10:30すぎ、I先生か治療方針の説明のため病室に見えた。

今朝の血液検査の結果、骨髄抑制が強く出るので、カルボプラチン+パクリタキセルの使用を断念する。

今後の治療方針 2種はやめて1種を試みる。薬剤はゲムシタビン(ジェムザール)。2種より毒性が少ない。但し、効果もやや落ちる。点滴は(1日目ー8日目ー15日目ー1週間休み)を1クールとし、それを繰り返す。2クールの後に効果を確認する。

第1回目の点滴は今入院中なので、入院したまま30日(月)に行う。その後(2回目以降)は通常原則として通院で点滴を行うことになる。

週末は特に治療がないので外泊OK。お言葉に甘え、今日の午後に外泊で自宅へ帰ることにする。

2007年7月26日木曜日

【第3クール 第4日】

今日も白血球の回復待ちの1日。回診の時、I先生から「退屈ですみませんね」と言われて、思わず笑ってしまった。私の体内の白血球のことで先生が謝るのもおかしい。私の年代では医師は患者より上から物を見るものという先入観があるが、最近は医師もサービス業的な意識を持つようになったかと感じることがある。

昨夜はサッカーのアジア杯準決勝のサウジ戦。キックオフは夜の10:20、何が何でも中継を見たかったので、看護師さんに交渉した。病院の消灯は10:00なので担当の夜勤の看護師さんに恐る恐る申し出たら、意外と簡単にOKが出た。消灯と就寝は違うようだ。人に迷惑がかからなければ、消灯はするが、就寝しろという意味ではない・・・とうれしいことを言われた。幸い、個室なので他の患者さんに迷惑がかからなければ・・・ということなので消灯した上で、テレビにイヤホンをつけて堂々と最後まで見させてもらった。途中その看護師さんが懐中電灯を持って2度ほど見回りに来たが、「どちらが勝ってます
?」と聞かれたりした。

結果はご存知の通り。昨日の日本は誰もが体が重く良いところがなかった。最初は圧倒的にボールを支配していたが、攻め手に欠き、ムダな動きが多かった。途中から相手に先行を許し、追いかけるのに精一杯で日本のよい所は見られなくなった。オーストラリア戦で消耗しきって疲労がたまっていたのかもしれない。連日35度という悪条件の中で、最高潮の条件を維持し続けるのは難しい。誰もがオーストラリアに勝てば、後は楽勝できると思っていた節がある。予選リーグを勝ち抜けたチームはどこも横一線、その時のコンディションで勝ちもすれば、負けもする。前回のアジア杯での優勝だって、奇跡と思えるほどの幸運が重なった結果だった。幸運はそうそう続かない・・・と考えるのが自然のようだ。

2007年7月25日水曜日

【第3クール 第3日】

朝いちばんで採血した。

結果は白血球の数値が2,920で前回より低い。好中球は横ばいだという。

従って、明後日の採血の結果まで点滴はお預けとなった。明後日は第1クールのときの点滴から37日目に相当する日「その後の方針は明後日の採血結果を見て決めましょう」と再びいわれた。

半分は予想していたことだが、不安な気持はつのる。まあ、それでも白血球はこのまま戻らないというわけではなく、時間さえたてば戻るので深刻になることはない・・・とあきらめよう。

2007年7月24日火曜日

【第3クール 第2日】

今日は入院2日目、明日の採血までは何もやることがない。

今回の病室は前回と同じ5階東病棟だが、部屋は東向きの部屋だった。この病院の病棟の作りは十文字型の建物が二つ並んで、西病棟と東病棟と名付けられている。その中央にデイルームやエレベー ター等の共通部分がある。病室は十文字のどの部分かによって、東西南北すべての向きがある。高台にあるので北か、西向きだと富士山、南か東向きだと駿河湾が見える。今回の東向きの部屋は今までで初めてだった。ここでは東向きだと沼津と裾野の町並みが見え、沼津の向こうに駿河湾が見える。

横浜や函館の夜景には適わないが、それでも天気のよい日の夜はぼんやり眺めていると気持が落ち着く。

もうひとつ、今回東向きでよかった点はPC用のワンセグテレビがよく入ること。これはパソコンのUSBに5センチ位の小さな器具を差込み窓ガラスに吸盤式のアンテナを付けるだけで、パソコンでデジタルテレビが見られるというもの。ワンセグなので携帯か、それより一回り大きな程度の大きさしか鑑賞に堪えないが一応放送内容は理解できる。今回の第一クール入院前にネットで面白半分で購入してみた(1万円弱)。今までは方向が悪かったようで放送が時々途切れたりしたが、今回は常にきれいに見ることができる。従って、普段はワンセグで、じっくり見たい番組は病室のテレビ(カード式・有料)で見るようにしている。

2007年7月23日月曜日

【第3クール入院】

今日は10時までに入院ということなので、家を9時に出た。病院まで約30分、今日は休み明け、予想していたことだが入院受付は大変な混雑だった。

幸い前回と同じ5階東病棟だった。呼吸器の病棟は5階(東と西がある)だが、最近呼吸器の患者が多く、5階だけでは収容しきれず、8階や9階にも入院受入れをするらしい。どこでも同じだとは思うが、看護師は病棟ごとに固定しているので呼吸器の患者を扱い慣れた看護師のいる病棟の方が何となく心強い。

入院してから、いつものように身長、体重、血圧、採血、レントゲン撮影を行った。12:30頃、病室のモニターで採血結果をみたら入力済みだった。白血球の数値は心配したとおり3,230と低かった。その30分後くらいにI先生が病室に見えた。治療方針は「普通は明日点滴をするところだが、今日の採血結果では白血球の数値が低い。好中球も1,300位(正常値1,500以上)と低く、前回と同じ経過を辿っている。前回は点滴日から37日後に白血球が正常値が戻っているので、今回は取り敢えず金曜日まで入院して水曜日と金曜日に採血して、その結果を見て点滴日を決めたい。それでもよいか?」といわれたので、了解した。

またまた、今回も白血球との持久戦となりそうだ。

2007年7月22日日曜日

いよいよ後半の治療、明日入院

一昨日病院から「ベッドの空きができたので、7月23日(月)10:00に入院してください」との連絡があった。いよいよ第3クールの治療が始まる。

13日以降ということだったので、10日遅れの入院となった。入院予約をした段階で30人待ちということだったので、予想したとおりの時間がかかった。

治療に関する心配は自宅療養中に白血球の数値が正常値にもどっているかどうか・・だ。戻っていなければ、前回のようにまた退院して戻るのを待つということになるが、それもイヤだ。

第1クールの点滴は5月15日だった。第2クールは6月13日に入院してすぐ白血球を図ったが、3,300と低くて駄目、2日後の6月15日も3,100と低くて一旦退院した。5月15日から実に6月15日まで1ヶ月たったのに白血球は上がらなかった。それからさらに6日後に再入院して6月21には正常範囲に戻って、翌日2回目の点滴をした。

そんな事情があったので、今回の入院は指定日の13日よりできるだけ遅れて欲しいと願っていた。幸い明日の入院は第2クールの点滴日6月22日からは1ヶ月以上経っているし、点滴量も1回目の75%だったので、白血球の数値は多分大丈夫だと思うが、それでも一抹の不安がある。トラウマは結構大きい。

2007年7月19日木曜日

余命1ヶ月の花嫁

昨日、TBSで放送された「余命1ヶ月の花嫁」を途中から見た。実は放送されることを知らなくて、他チャンネルを見ていたが、CMのときチャンネルを回していて偶然この番組に出会った。途中であったがそのまま番組に引き込まれ最後まで見た。
後でホームページ(こちら)を見てみたら、5月10日と11日の2日間、夕方のニュース番組『イブニング5』の特集コーナーで「24歳の末期がん」を放送したら、放送終了後スタッフの予想以上の反響があったという。その中の多くは、「感動した」「もう一度みたい」「もっと多くの人が見られる時間に再放送してほい」というもので、それらの反響に後押しされるように、今回の特番が実現したということを知った。

番組は乳がん転移のため余命1ヶ月と宣言された24歳の長島千恵さんの最後の1ヶ月を密着取材したもの。父親、 恋人、多くの友人に支えられた千恵さんの闘病生活を通して命の尊さを1人でも多くの人に感じてほしいと制作された。クライマックスは暖かい友人たちが急遽企画した教会での結婚式。病院から酸素と車椅子で教会に向かって、憧れのウェディングドレスを着て式を挙げるとき、死の半月前なのにその輝く美しさに涙を誘われる。余命を知っていて困難な結婚式を実現させた恋人や友人達の奮闘振りと暖かい気持には、今の若い人たちも捨てたものではないと思わせる。まるでドラマのように・・という言い方があるが、これは実話であり実写だけにドラマ以上に見る人の胸を打つ。多分これを見て涙を流さない人はいないだろう。

それにしても、奥さんをガンで亡くし、10年後に1人娘に先立たれて一人ぼっちになってしまった68歳のお父さん・・・この悲しさは想像を絶する。失意から早く立ち直るように願わずにはいられない。ガンの専門病院にいると、時々若い患者を見かける。ガンで死ぬ人は年間6万人、殆どが高齢者である。人の死は一様に悲しいが、歳の順番であれば周囲は悲しみの中にも納得がある。しかし、このドキュメンタリーのように子供が親より先に死ぬ場合はその悲しみは何倍にもなる。

ガンの専門病院にいると、時々若い患者を見かける。ガンが怖い病気でなくなれば理想だが、それまでは予防や早期発見など本人の自覚しかないようだ。

普通なら病気で苦しむ姿は人には見られたくない。「がんと闘う自分の思いを同世代の人たちに伝えたい」と取材に応じた千恵さん、その思いは本人の想像以上に全国に伝わったことだろう。

2007年7月17日火曜日

災害連休

昨日までの3連休は大変な連休だった。過去最大級の大型台風4号に続いて新潟県中越沖地震と国中を恐怖に陥れた。「天災は忘れた頃に来る」という言葉を言い出したのは寺田寅彦であるといわれているが、最近は忘れる暇も与えてくれない。

台風4号は土曜日に駿河湾沖を通過し、幸いにして私の住む場所では雨も風もなかった。しかし、その前日の金曜日の夜、まだ台風が九州にいた時間帯に大変な集中豪雨があった。「バケツをひっくり返したような」とよくいうが、本当にそんな表現がぴったりの雨が長時間続いた。沼津市郊外の小さな川が氾濫し、床下浸水になってそこの住民が避難した地域もあり、テレビの全国版ニュースで流された。埼玉に住む兄がニュースを見て心配の電話をくれたが、我が家はその地域とは離れている。それでも、すぐ近くの道路が冠水し、このまま続けば床下浸水かと夜中肝を冷やしたが、運よくその直前で止まってくれた。

16日(海の日)は朝からテレビは新潟県中越沖地震のニュース一色に切り替わった。私の住む東海地方も地震には敏感な地域だ。地震のニュースを見るたびに人ごととは思えない。何しろこの地域は大地震の見本のような東海地震がいつ起きてもおかしくない。それもひとつが引き金になって太平洋沿いに南海地震、東南海地震と続けてか同時にか起きる可能性もあるといわれている。

現に歴史上でも宝永の大地震はいわゆる東海地震、南海地震という一連の大地震が同時または短時間のうちに一度に発生した地震であり、安政の大地震は安政東海地震の32時間後に安政南海地震が発生した地震だったようだ。宝永および安政の地震ともに歴史上最も規模の大きな地震であると考えられており、いろいろな資料が残されている。東海地震、東南海地震、南海地震の震源域が同時に破壊される場合は『揺れによる被害、津波による被害ともわが国最大級となり、建物全壊が90万棟、死者約2万五千人に及ぶ』(中央防災会議 東南海、南海地震の被害想定について 平成15年9月)などとありがたくない予想がされている。

せめて自分が生きているうちには起きてもらいたくないとは思うのだが、残された家族が出会うのも・・・。

2007年7月14日土曜日

アジア杯の予選突破が見えた

第3クールの入院は13日以降ということで予約をしてある。入院待ちが30人ほどいるという話だったので、簡単にはベッドは空きそうにない。できれば17日以降になってほしいと思っている。というのはアジア杯の中継が13日(金)と16日(月)だからだ。病院では消灯が早いので時間によっては見られない試合ができてしまう。その先もあるが、それは見られる試合だけ病院で見るしかない。

昨晩はアジア杯のUAE戦をテレビで観戦した。前の試合でカタールに引き分けたので、オシム監督が荒れ狂ったせいか、選手の気合の入り方が違っていた。前半に3点も取るとは予想外だった。その代わり後半は疲労が目に付きヒヤヒヤした。後半1点取られたときはイヤな感じになった。3点は安全圏だが、2点差は危険範囲とよく言われる。2点差のリードは不思議に僅かな時間で追いつかれるケースはよくある。

スポーツの監督はピッチ外での言動も含めて選手をまとめる力を要求される。特に外国人の監督は言葉が通じないだけ、自分の考えを理解させるのは難しいだろうと思う。高原にしても、俊輔にしてもそれぞれ海外で通用するほど選手としては一流だが、日本チームをまとめる力はまだ弱い。1回戦後のオシム監督の言動は選手たちを発奮させたという意味では監督のファインプレーのようだ。記者団を前にただ荒れ狂っているように見えても、実は感情だけをぶつけているわけではなく、選手たちに伝わることを計算に入れて話す。実に味のある知将という印象をもった。

予選最終戦はベトナムに引き分け以上は堅いだろうから、これで予選リーグ突破はほぼ見えてきた。

2007年7月13日金曜日

初孫の誕生日


横浜に嫁いだ次女の所に生まれた子は我が家にとっても、義理の息子の実家にとっても初孫(女子)になる。

昨年の今頃は娘が出産のため我が家に帰っていて、地元の病院の産婦人科には私の運転で毎日通った。年月が過ぎるのは早いもの、昨日は1歳の誕生日を祝ったそうだ。インターネットで早速写真を送ってきてくれた。横浜と沼津では比較的近いので何かあると里帰りする。
「主婦が家を空けるのは迷惑なので、あまり里帰りはするな」といいながらも「今度はいつ里帰りするのか」と心待ちにする。気持は矛盾するが、孫に会うのは正直なところうれしいものだ。闘病中の私が孫に会うのを楽しみにしているので、私の励みになるようにと先日の入院のときも連れてきてくれた。あいにく孫に風邪を引かせてしまったようで、病院に来ても1階のキッズルームで遊ばせるだけだったが、会うたびに大きくなって表情が変わる。

沼津では1歳の誕生日に歩くようだと、1升の餅を風呂敷に包んで背負って歩かせるという風習がある。我が家の二人の娘も1歳のときそのようにして、今もそのときの写真が残っている。孫も昨日そのようにしたようだが、まだ7歩ぐらいしか歩けないので1升餅を背負うのは無理のようだ。

2007年7月12日木曜日

ごっくん、カプセル型内視鏡

「ごっくん、カプセル型内視鏡」の記事は興味深い。(記事はこちら
今まで開発や発売の記事は度々目にしたが、これは実際に使用されたという記事だ。患者第1号は岐阜の病院で20代の女性だという。

私も以前人間ドックで十二指腸にポリープがあると指摘された。良性なので、手術の必要はないが毎年ドックの際に胃カメラ(内視鏡)で確認するようにといわれ、10年以上も毎年内視鏡を呑んだ。

これは何回呑んでも慣れるということはなく、いつも苦しかった。看護師さんは胃カメラとはいっても、太さはウドンと変わらない・・というが、胃カメラをウドンとは考えにくい。それに技師の技量によってもずいぶん楽だったり、苦しかったりした。
今では鼻から通す内視鏡が登場したり、麻酔で寝ている間に検査する等々ずいぶん改善はされているようだが、もっと良い方法はないものかな・・と思っていたので、このニュースを読んだときには「これなら良さそうだ」と思ったものだ。

4月に厚生労働省が輸入販売を認可、5月から販売が開始されたばかり。価格はカプセル10個入りが100万円、携帯型記憶装置一式が140万円、実際にデータを取り込んで医師が画像を見る専用のコンピューター一式が503万円。医療器具にしてはそれほど高い設備ではないので、大病院でなくとも導入されそうだ。

検査はまだ健康保険適用されていないが、導入した岐阜の病院では希望者に13万8000円で検査を実施しているという。早ければ2007年中に保険適用される可能性もあるという。 健康保険が適用されれば4万円ちょっと、量産効果で価格がさらに下がるだろうから、もしかしたら普及するかもしれない。

記事には使用後のカプセルは医療廃棄物になるとあるが、1個10万円のカプセルは患者のもの?病院のもの?トイレで流すわけにはいかないから、拾って病院へ持っていくのだろう。
病院によっては高価なものだから再利用しようと考える病院が現れそうだ。でも再利用はイヤだな・・・などとヒマ人はいろいろくだらないことに想像をめぐらせてしまう。

2007年7月10日火曜日

スポーツ観戦三昧

退院後は次の入院まで安静に体力回復の期間。昨日は朝から1日中テレビの前から離れられなかった。朝はアメリカから松坂が登板の中継、夜はベトナムからサッカーのアジアカップ日本チームのカタール相手の初戦中継。

松坂の登板日、中継ではなく録画放送だったが、幸いニュースで結果が流れなかったので、中継と同じ状態で楽しむことができた。
とはいっても、結果はご存知のとおり、松坂が絶不調、散々な結果で、見ていられず、もやもやな気分が残った。相手チームはオールスター休暇で主力打者3人を欠くチームだったので楽勝かと思っていたのだが、松坂の球は初回から勢いがなく、コントロールも悪かった。いきなりホームランを浴び、普通なら徐々に調子が上がるのに、昨日は毎回調子が上がることはなかった。表情も明らかにいつもとは違っており、精彩がなかった。春からの疲れがピークに達しているのは明らかだ。オールスターに選ばれなかったのは松坂にとっては幸いかもしれない。休暇で疲れを取って、後半に立ち直ってもらいたいものだ。

夜は7時からサッカー観戦。アジアカップの緒戦のカタール戦。これも結果はご存知のとおり、1点のリードを最後の最後に追いつかれ引き分けに終わった。カタールはFIFA順位は日本よりはるかに下だが、今まで勝ったことがないそうだ。この結果は意外ではないようだ。
今後は順当なら残るUAEとベトナムに勝って、勝ち点7でトップ通過と思いたいが、アジアカップは毎回本当に何が起こるか分からない。相手は国の威信をかけて死に物狂いで当たってくるのでFIFAの順位はあまり関係ない。それに気温35度のところで90分も走り回らなければならない。日本とトップ争いをすると思われているUAEでさえ第1戦で格下のベトナムに2-0で負けている。日本だって下手をすればグループ通過ができないこともあり得る。そこが親善試合とは違ってスリリングで面白いところ。

次の13日のUAE戦の中継は夜22:30から。悪いことに私の入院予約が13日以降で申し込んでいる。ベッドの空きができると、入院するということになるが病院の消灯は22:00でテレビを見ることができない。「入院の通知がきたら、延期してもらおう」と冗談で言ったら、家内に叱られてしまった。

それにしても朝はアメリカから、夜はベトナムから、スポーツ中継をしかもきれいな映像で楽しむことができる。よい時代になったものだ。

2007年7月7日土曜日

【第2クール再入院第17日】

【点滴16日目】 晴れて退院!

今日は朝から雨、退院には向かない天気だが、無事退院した。退院時に13日以降の入院予約をして来た。家に帰ったとはいっても、家にいられるのは1週間ほどだ。家でゆったりとした気持になれるのは第4クールが終ってからになるのかもしれない。

第2クールの入院は予想より長くかかってしまった。6月21日に入院して、今日で17日間だった。その前に血液数値が上がらずに一旦退院した3日間があるので合計して20日間。第1クールは21日間だったので、ほぼ同じような日数になった。通常の場合の入院日数は第1クールが2週間、第2クール以降は5日間ぐらいが普通だと聞かされていた。

入院期間が長引いたのはブログにも書いたように第1クールが血液中の白血球の減少と肝臓数値の上昇だった。第2クールの場合は第1クールの反省から抗がん剤の液量を75%に減らした結果、肝臓数値の上昇は見られなかった。

白血球の減少は第1クール同様だったが、その数値は若干改善された。第1クールよりは第2クールの方が副作用は若干軽めだったといえる。

この治療の開始前にこの治療の効果は「①約3割の人が腫瘍が半分以下に。②続いて3割の人が現状維持。③4割は効果なし」という説明があった。現状の中間折り返し点では何とか②に入っているようだ。どうしても意識は③の方へ行きやすいが、③でなくて胸をなでおろしているというのが今の気持。

第3、第4クールも当然今までと同様な苦戦が予想される。ただ中間で実施したPET-CTで抗がん剤の効果が見られたという結果は正直うれしい。これからの約2ヶ月にも亘る副作用と戦う闘志にスイッチが入ったというのが実感である。

第4クールが終った時点で上記①に入ることを念じてがんばろうと思っている。

2007年7月6日金曜日

【第2クール再入院第16日】

【点滴15日目】

昨日ブログの記事をアップしてから、午後に「悪い情報」「良い情報」がもたらされた。
「悪い情報」午後担当のI先生が病室に見えた。昨日の血液検査の好中球の計算値を間違えていたという。好中球は血液検査の表にはいつも載っていない。分析結果から計算して出すらしい。そのときの計算を間違えたという。そして計算し直した値はあまりよくない。従って白血球増強の注射を明日の朝に打って、午後いちばんで採血して結果をみるというように変更したい。「しっかりしてよ」といいたいが、先生にそんなことはいえない。ニコニコして 「そうですか。明日はよくなるでしょう」という。

「良い情報」夕方の回診で、主治医のY先生からうれしい話があった。昨日3:30~5:00に行ったPET-CTの結果が速報で分かった。前回行ったPET-CT結果との映像を比較したところガンの進行が止まっているようだ。従って今の抗がん剤に治療効果があると判断して、3・4クールの治療を引き続き行う・・・という話だった。私には血液に対する副作用が強く出過ぎるので、3・4クールを行わないと言われるのではないかという不安を持っていた。中間チェックなので効果は厳密には分からないが、取敢えず次のステップへ進めることに安堵した。

朝の採血の結果が14:00頃分かった。白血球は9,290に上がった。注射の効果はすごい。前回の時と同じ経過を辿っている。好中球もそれなりに上がってるということで退院の許可が下りた。
ちなみに好中球とは白血球の一種である顆粒球の1つ。白血球の中で最も数が多い。白血球の40~60%を占め、細菌などの体内の有害物を除去する働きがある。これが少ないとウイルス感染しやすい。いつも渡される血液分析表には載っていない。口頭での説明なので、いつもピンとこなくて聞き流してしまう。

今日あたふたと片付けて退院することも可能だが、入院生活で体力は想像以上に衰えていることと、荷物が多いことを考えると手伝いがいてくれると心強い。退院予定が2転3転するので、迎えの人の予定がたたない。今日はあいにく家内も仕事が休めない。電話でやりとりして家内の都合のよい明日の午後退院としてもらった。次の予定は10日に予定されている外来診察はやめて、入院(第3クール)を13日以降に予約することになった。

2007年7月5日木曜日

【第2クール再入院第15日】

【点滴14日目】 ようやく退院許可 → 明日退院

今日は朝6:30にいつもと同じ採血を行った。
結果は白血球2,660(一昨日1,500)だった。まだ許容範囲までは達しないが、再び上昇し出した点は良い傾向と解釈できる。好中球も前回に比べて同じ傾向で上昇し出したという。厳戒体制から普通の要注意体制に1レベル変わったといったところであろうか。

従って今日以降の退院許可が出た。但し、今日午後PET-CTの予約が入っていてそれを終るのが5時以降なので、明日の朝10時頃までに退院することにした。でも、自宅に帰って何でも自由ということはない。感染要注意の状態はしばらく続くので、あまり外出はできないし、発熱した時の心配もある。

来週火曜日の通院で、採血して1昨日のCTと今日のPET-CTの結果を聞くことになるが、それまでは病院にいるのと同様の不自由な生活をすることになる。

2007年7月4日水曜日

【第2クール再入院第14日】

【点滴13日目】

今日は朝から典型的な梅雨の天気。窓の外は終日雨が降っている。それでもツバメは元気に飛び回っている。
今日は白血球増強の注射を一本打つだけだった。白血球が下がっているのにダルさもなく、体調はよい。表に出ている副作用は手先の痺れ以外は何もなくなった。

朝食を終わり、今日は8:00から病室のテレビの前に陣取る。
今日は松坂の登板日、松坂にはいつもヒヤヒヤさせられるが、今日は途中で味方打線が点を取ったこともあり、初めて安心して見ていられた。
今日は10勝目の区切りの試合だったが、松坂のあの落ち着き振りには驚かされる。彼のすごいところはボールにしろ、マウンドにしろ、ピッチング間隔にしろ、移動にしろ日本での試合と異なる点は山ほどあるのに、一つ一つ試合をしながら調整して、今日のような安心して見ていられるような状態に持ってこられるところだろう。

シーズン15勝は確実だろうが、日本でもできなかった20勝をしてもらいたい。今日の試合振りを見ると余程のことがなければ可能なような気がする。試合数も多いし、バックにも恵まれている。中継ぎ、抑えのピッチャーも最高潮。それにニューヨークよりボストンの方が観客が明らかに暖かい。

2007年7月3日火曜日

【第2クール再入院第13日】

【点滴12日目】

今日こそ退院だろう・・と自分では体調の良さからそう思っていたが、またまた退院にストップがかかってしまった。というのも、今朝の採血の結果が白血球1,500(一昨日2,230)と再び下がってしまったからだ。おまけに好中球も下がったという説明であった。前回の採血ではその前より上昇したので、てっきり上昇カーブに入ったと思ったのは甘い観測だったようだ。私にとって、この抗がん剤は血液へのダメージがかなり強く出ることを思い知った。

この状態では退院しても感染危険があるので、再び入院生活を延ばして今日と明日白血球増強の注射を打つ。明後日採血の結果を待つことになる。第1クールの経過と全く同じ道を辿っている。

明後日(5日)は外来でPET-CTの撮影の予約が入っている。今日のCT撮影と同様またまた入院の状態で受けることになった。といっても、自分としては退院を強く望んでいない。この状態では家に帰ったからといって行動が自由になるわけではない。むしろ高熱を出したりした時の対応に右往左往することを考えれば、病院にいる方が平穏にしていられる。家内もそれを望んでいる。退院するならある程度元気な状態が良い。

15:00 CT撮影(造影剤あり) この結果は5日に予定されているPET-CTの結果と併せて10日(火)の外来検診で説明される。これが今回の抗がん剤の効果判定になり、以後の治療方針を決めることになる。

2007年7月2日月曜日

【第2クール再入院第12日】

【点滴11日目】

本来なら今日採血→退院という運びだったが、たまたま明日にCT撮影の予約をしており、日がつながってしまったので明日朝採血、午後CT撮影をして退院ということになった。もちろん朝行う採血の結果が良ければ・・・という条件付きだが。
今日退院できてもまた明日通院でCT撮影に来院するのは大変なので、私にとっては良い形になった。

今日は朝から比較的体調が良い。先週あたりは毎日何となくだるかったが、今日はそれが抜けたような感じがする。これは抗がん剤がなじんできたのか、抜けてきたせいだろう。
都合よく解釈すると、血液中の白血球が上がったのか?とも思えるが、前回の経験からして、どうもそれとは関係ないように思われる。

午後は体調がいいので、階段を何階分か上ってみようと思いついた。前回の入院の際見つけた裏道の従業員通路にある階段のドアを開けようとしたら、白衣を着た従業員と鉢合わせをしてしまった。「あの、エレベーターはあちらですが・・」と声をかけられた。患者が来る場所ではないので、迷って来たと思ったのだろう。

ここではリハビリをする患者は別に広々としたリハビリ室がある。普通の患者にはエレベーターだけしか使えないようになっていて、患者が使える階段はない。
階段は生活の場に存在する最高のトレーニング設備だ。ちょっと体調の良い患者が使える階段があっても良いと思うのだが。

2007年7月1日日曜日

【第2クール再入院第11日】

【点滴10日目】

今日は日曜日なので医師の回診はない。
いつもは退屈しのぎに病院内であちこち歩き回るのだが、白血球が下がった状態ではそれもガマンして室内にじっとしているしかない。
血液の数値以外では自覚する副作用は手先の痺れ以外はない。膝の痛みも短期間で治まったようだ。

先週末から下の娘が孫を連れて私の入院に合わせて手伝いに来てくれている。ただ、あいにくこちらに来てから孫が風邪を引いたようで、病院までは家内を送ってくるが、病室には入れない。
私が感染要注意期間だからである。孫に会うことを心待ちにしていただけに抱き上げたいが、それができなくて残念である。
孫は7月12日が最初のお誕生日。見るたびに目に見えて成長し、違う表情を見せる。ハイハイの状態から立ち上がって今にも歩き出しそうな状態。

昨夜は長女も都合をつけて東京からお見舞いに来てくれた。
1階のキッズルームで遊ばせている所まで、私がマスクで完全防備して降りていったところで、家族全員が揃ったのだが、遠くから眺めて話をするだけである。

2007年6月30日土曜日

【第2クール再入院第10日】

【点滴9日目】

昨夜は9時頃ベッドに横になりながらテレビを見ていた。いつの間にか寝入り、夜中の何時頃だろう「朝まで生テレビ」らしき声に目覚めたが、テレビを消してすぐまた寝入った。
朝、6:30看護士さんの採血の声で目をさました。どうも9時間位寝たことになる。1日何もしないでゴロゴロしているのによく眠れるものだと我ながら感心する。

さて、採血の結果。心配した白血球の数値は2,230(一昨日1,690)とやや持ち直した。好中球の数値31.8(許容範囲の下限40)もやや低いがまあまあ。肝臓数値は今回は上昇しなかった。
総じて、点滴液量を75%にしたことで副作用に対する効果は出ているようだ。
先生の診断は白血球の数値はやや持ち直したものの、まだ低いので、感染予防のため退院を延ばして月曜日にもう一度採血してその結果で決めるのがよいだろう・・・ということになった。

今回の入院とは別に、前から火曜日にCT撮影を予約している。従って月曜日に退院すると、たまたま翌日に通院でCT撮影するようになる。従って、退院を1日延ばして、CT撮影してから退院した方が楽であるということを提案したところ、そのように決まった。

2007年6月29日金曜日

【第2クール再入院第9日】

【点滴8日目】

今日も治療は何もない。

明日の朝の採血で今後の方針を決める。副作用は手先の痺れは相変わらずだが、足の膝の痛みは昨日あたりから軽くなっている。今日もそれほど感じなくなった。

先生からも看護師さんからも「感染予防の手洗いとうがい」はうるさく言われている。そのため極力病室からは出ないようにしてる。
それでも全く出ないというわけにもいかない。トイレやシャワーは部屋でできるが、食事のトレイを下げに行ったり、体重を測りに行ったり、新聞を買いに行ったり・・・など何度かは部屋から出る。そういうときには部屋に備え付けの手洗い石鹸で手を洗い、消毒液をつける。同時に支給されたイソジンを水に入れてうがいをしている。

白血球が下がると、免疫作用が落ちるため、発熱しやすいという。外部だけ注意すればよいかというとそうでもないらしい。体内の雑菌が原因で発熱することがあるという。発熱すると抗生剤の注射をすることになり、新たな厄介な問題を抱えることになる。

健康な時にはあまり意識しないことだが、菌の存在を警戒するようになるものだ。

2007年6月28日木曜日

【第2クール再入院第8日】

【点滴7日目】

今日は予定通り、朝いちばんで採血があった。
その結果は心配していた通り白血球の数値が1,690で、一昨日よりまた1,000以上下がった。点滴後7日目だがこれが最下限とはいいきれない。但し、好中球並びに肝臓の数値はそれほど悪くない。

従って、入院を延長して明後日朝の採血の結果を見る。そこで結果が良ければ退院、悪ければ白血球増強の手当てをする。

今日の結果がよければ、今日退院だったがそれは駄目になった。前回の結果からこうなることは、7~8割位の確率で予想していたことなので、それほどの落胆はない。また白血球が下がった時は感染の恐れもあり、高熱を出すことも考えられるので病院にいた方が安心していられる。健康状態がこういう状態の時は家にいようが、病院にいようが、行動範囲は限られるので病院の方が安心していられると思うようになった。

2007年6月27日水曜日

【第2クール再入院第7日】

【点滴6日目】
今日は治療の中日、のんびりすること以外には何もやることはない。副作用の状況は昨日と変化なし。

【つぶやき】
最近の私の情報スクラップ(http://tamy.mt63.com/joho2.html)には「怖いニュース」「明るいニュース」の気になる2つのニュースがあった。

「怖いニュース」「中国でがん患者急増 環境汚染と因果関係?」(産経新聞6/20)「ミートホープ」事件もひどいが、中国からの輸入食品には気をつけろということは散々聞かされる。輸出品だけがひどいのかと思っていたが、中国国内で自分達が食べる食品までひどい汚染にさらされているとは思わなかった。年間のガンによる死者が760万人とはすさまじい。別な情報では中国の金持の間では値段が高くても日本の米や野菜を食べるのが流行っているらしい。日本でもスーパーに並ぶ安い食品には中国産が目立つ。クワバラ、クワバラ・・・現代の怪談。

「明るいニュース」「英国、来夏から子宮頸がん予防用ワクチンの接種を慣例化」(がンナビ通信6/22)ガンの3大治療法〔外科・化学・放射線〕のほかに免疫療法が研究中だが、その先にはがんワクチンという夢の方法がある。ニュースの内容がどの程度の効果があるものか素人の私には分からないが、ワクチンと聞くだけで未来の治療法を感じる。それにしても日本での動きが欧米に比べて後手後手に回っていることが、このニュースひとつでも分かる。厚生労働省の皆さん、年金問題も大事だが、ガン対策もお忘れなく。

2007年6月26日火曜日

【第2クール再入院第6日】

【点滴5日目】

今日は朝から典型的な梅雨らしい天候。朝からシトシトと雨が降り、景色は靄に曇ってる。

昨日夕方の回診で、主治医のY先生から「採血予定は28日だけど、明日中間でチェックして見ましょう」といわれ、朝いちばんで採血した。
9:30頃、病室のモニターで見てみると、気になる白血球の数値は2,750だった。心配した通り、点滴後6日にしてやはり下がっている。

先生からは今日の夕方の回診で話があるだろうが、前回と同じ傾向なので28日の採血次第ではまた前回と同じ治療方法を辿ることになるのかもしれない。肝臓の数値その他は現時点異常はないようだ。
どちらにしても、今回の治療は第2クールなので、第3クールまでの間にCT撮影(7月3日に予定)があり、その効果次第でその後の治療方針が決まる。

抗がん剤の副作用はガマンするとして、効果があることを望むのみである。

2007年6月25日月曜日

【第2クール再入院第5日】

今日は月曜日、朝からいつもの喧騒が戻った。空きベッドにも次々と新しい患者が入ってくる。

点滴後4日目なので、初採血があると思ったのは自分の判断だったが、どうも予定はないらしく行われなかった。
朝の回診では先生から退院予定の話はなかった。前回の白血球低下及び肝臓値の上昇のこともあり、じっくり構える覚悟が必要なようだ。

治療前に行われた説明で点滴後出る可能性のある副作用は1~4日目にはアレルギー症状、静脈炎、関節痛・筋肉痛、吐き気、手足のしびれ等。

今日は今までの手先の痺れに加えて、足の関節に違和感がある。程度は軽いが、歩くときにやや痛みを感じる。どうもこれも新たな副作用のようだ。

2007年6月24日日曜日

【第2クール再入院第4日】

【点滴3日目】
昨日と今日の土日はいつもながら週末独特のムードが漂う。医師の先生がお休みのことと、週末に退院した人や外泊の患者さんが多く、空きベッド多いせいだろうか(月曜日にはまた一杯になる)。また、病室もデイルームも見舞い客で賑わうのもいつもの風景。

今日も新たな副作用はなく、平穏無事だ。明日の朝予定されている採血の結果でどうなるか?明日問題がなければ、一旦退院して次の通院の際の採血結果で処置を決める方法が通常のようだが、前回白血球が極端に落ちた私の場合はどうなるか。

この病院は山の上のせいか、野鳥がよく訪れる。
今朝も病室から窓の外をのんびり眺めていたら、窓から1メートルの所にあるアルミの手すりにツバメが1羽止まって、鳴き声を立てて毛繕いをいている。間近に見る後姿は正に燕尾服そのもの、久しぶりにこんなに至近距離で見るツバメの姿は懐かしい。私が子供の頃、4月頃になると姿を見せて10月頃暖かい国へ飛び立つ。これも田舎の毎年の風物詩だった。そういえばあの頃はあちこちの民家の軒先に巣を見かけたものだが、最近はさっぱり見なくなった。住宅事情の変化なのだろうか?

手すりのツバメが1羽だと思っていたら、すぐ2羽になったのでツガイかと思ったら、やがてグループなのか親族なのか5羽になった。その内にコの字型になった病棟のなかを自由に飛び回り出した。病棟の軒先のどこかに巣を作っているのだろう。

昔は餌や天敵の関係で住宅地を選んでいると聞いたものだが、人間がツバメを住宅地から山間部へ追い出したのだろうか・・等と考えながら眺めていた。ここの患者にとっては癒しになり、目の保養になるのはよいことだが・・・。

2007年6月23日土曜日

【第2クール再入院第3日】

【点滴2日目】

今回の入院の最大メインイベントの点滴は昨日無事に終了した。
後の仕事は安静にのんびりして、副作用の出方を観察し、異常に対処すること。

昨日、前回に比べてアルコールの影響が少ないと書いたが、今朝になって顔が紅潮している。アルコールの影響が遅れて出たようだ。前回は点滴直後から翌日以降まで出たので、初日以外は同じ結果だ。お酒のアルコール(といっても元々下戸なので飲むといっても量は僅かだが)の場合は、翌日まで持ち越すことは皆無だったが、同じアルコールでもお酒の場合とは違うようだ。

副作用は今日の段階では特に変わったことは何もない。前回からの手先の痺れは相変わらず、大きな支障はないがボタンをはずしたり、かける時にやや時間がかかるぐらいか?キーボードで文字入力の時、前より打ち間違いが多く、2~3割キータッチが多くなったのはこのせいか?あるいは歳のせいか?これでは一般の仕事では勤まらない。勤まるとしたら社会保険庁ぐらいか?(社保庁の職員さんゴメンネ)

今日は11:00からテレビで松坂の試合を観戦することが最大の楽しみだ。

2007年6月22日金曜日

【第2クール再入院第2日】

朝8:30、今日もいつものように朝の回診でY先生はじめ3名の先生が見えた。「さあ、今日は点滴をしましょう!」という話と同時に、以前にも言われた通り、副作用の出方を抑えるために点滴液の量を前回の75%とすることになった。

11:00 レスタミン5錠服用。タキソールによるアレルギー症状を予防。
11:30 点滴開始。
最初は①ザンタック注(胃酸の分泌を抑え、胃の症状を和らげる)+デカドロン注射液(アレルギーを抑え、吐き気を抑える(吐き気を抑える)約20分 
続けて点滴②カイトリル(吐き気を抑える)約20分
3番目は点滴③タキソール注(一般名:パクリタキセル)がん細胞の細胞分裂を阻害。約3時間
4番目は点滴④パラプラチン注(一般名:カルボプラチン)がん細胞の遺伝子と結合して、細胞増殖を抑える)。約1時間30分 すべてで16:30頃終了。

点滴に先立って、左胸に心電図を付ける(遠隔用)。点滴の安全対策として、前回と同じように看護士さんがバーコードリーダーを持ち、点滴液のバードコードと患者の左手首にしているIDの両方を読み取る。薬液または患者の取り違えをなくすための対策のようだ。

点滴が長時間なので、針を刺す腕は利き腕の反対の腕が一般的。つまり私の場合は右利き。左腕に針を刺そうとするが、いつも左腕には血管が表面になくて四苦八苦をさせてしまう。I先生「ダメもと!」と随分長い時間血管を捜して、くるぶしの裏側を見つけてそこに針を刺したところ、うまく液が通った。補助の看護士さん(男性)に鼻高々に「神業だろう?」と自慢する。この点滴は6時間の長丁場だ。6時間も利き腕に点滴を刺していると、トイレでも、食事でも何かと不便。その点今回は前回よりずいぶん楽だった。この若きI先生、このことだけではないが、大胆だし、思い切りもいい。見かけによらず豪傑タイプだ。

本日一番の主役の③タキソール注(一般名:パクリタキセル)はアルコールが含まれる(ビール500ml相当分・・今回は少し少ない)ので下戸の私は前回お酒を飲んだ状態になった。それを心配していたが、今回は量が前回の75%だったせいか、それとも2回目で体が慣れたせいなのか、顔が赤くもならず、ほろ酔い状態にもならなかった。

また何もせず帰宅かという不安があっただけに、一応無事終了してホッとしている。

2007年6月21日木曜日

第2クール再入院

15日に退院する際、20日以降で入院予約したが、昨日病院から病室の空きができたので、21日11:00に入院してくださいとの連絡があった。
2人部屋(この病院ではこれが大部屋)は予約が一杯なので、入院がいつになるか分からないという噂を聞いていたので、個室での予約にしたら2日目に入院ができた。

病院に着いたら、ひと通り入院の事務手続きをして、部屋に入った。

早速、身長・体重・血圧その他を測定し、同時に採血をした。11:40頃「自分の血液検査は出たかな?」と病室のモニター(テレビ)を開いてみたら、何と30分くらい前の採血なのにもう結果が出ている。気になる白血球の数値は4,650とある。肝臓数値なども前回より改善されていて概ね良好な数値になっている。

午後3時ごろ、I先生が見えて血液検査の白血球の数値も正常になったので、明日第2クールの点滴を行うということになった。前回の入院の際、主治医のY先生が私の場合点滴の副作用(特に白血球減少)が強く出るので、第2クールでの薬剤は通常の75%にするという話があったので、多分そのようになると思う。それでも今回の入院でも、また白血球の数値が低くて何もしないで帰宅するかもしれない・・という不安があっただけに、点滴ができるようになって正直ほっとした。7月3日にCT撮影をするので、すべてはその結果にかかっている。

副作用がどう出るか若干の不安もあるが、すべて1回経験済みなのでマナイタの鯉という心境である。

2007年6月19日火曜日

毎日2杯のコーヒーは肝臓ガンを防ぐ?

コーヒー好きの自分にとってはうれしい情報が載っていた(tamyのつぶやき「情報スクラップ」)。

記事には「スウェーデンのある研究所の調査結果によると、毎日2杯のコーヒーを摂取すると肝がんの発症リスクが約4割減少することが明らかになった」とある。何ごとにも疑い深い自分であるが、都合のよい情報にはすぐ飛びつく。おみくじとか占いと同じで、都合のよい情報は信じて、都合の悪い情報は忘れることにしている。

コーヒーは若い頃から好きで1日何倍も飲んだ。会社にいた頃は自動販売機に何度も通った。そのうちにドリップバッグのコーヒーとミルクを自分で買って厨房に置いて、日に何度か飲んだものだ。
会議といっては飲み、来客だといっては飲み、レポートをまとめる時は息抜きに、外出すれば飲み・・・多い時は1日に7~8杯飲んだこともあった。

ただ、最近はコーヒーに入れるミルク(コーヒーフレッシュという小さな容器)がサラダオイルと添加剤で作られていて、ミルクともクリームとも無縁だ(「食品の裏側」東洋経済新報社・安部司著)ということを知ってからは、完全なブラックで飲むようになった。そのせいで杯数はやや少なくなったが、それでも毎日1~2杯は必ず欠かしたことはない。

口に入れるものはいずれも裏表があって、何かによければ、何かに悪いということが多い。何ごともほどほどに摂取することがいちばん・・・だとは思う。

2007年6月17日日曜日

今日は父の日

今朝は気分が良い。なぜなら宅急便で娘二人から「父の日プレゼント」が届いたからである。シックな色の「サムエ」だった。この夏、自宅療養が多くなりそうなので、最高の贈り物である。今スキンヘッドにしているので、どこかの住職と間違えられそうだ。

父の日は日本では母の日や、バレンタインに比べると影が薄い。それに日本では商業主義に乗せられているような雰囲気もあり、その普及度はもうひとつかもしれない。でも他のアニバーサリーもそうだが、こういう行事は人の心を結びつける接着剤の役割を果たすのでもっと普及した方が良い。プレゼントを送るという行為だけではなくて、その前に何を送ろうかと考え、もらった側も感謝の気持をもつ。このことを中心にずいぶんお互いの結びつきが強まることは間違いない。

以下はWikipediaから。
父の日は父に感謝を表す日。6月第3日曜日。1910年にアメリカ・ワシントン州のJ.B.ドット夫人が、彼女を男手1つで自分をそだててくれた父を覚えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月6月に父の日礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった。ドット夫人が幼い頃南北戦争が勃発。父、スマートが召集され、ドット夫人を含む子供6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元でスマートの復員後まもなく亡くなった。以来男手1つで育てられたが、スマートも子供達が皆成人した後、亡くなった。1916年アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウィルソンの時に父の日が認知されるようになる。1972年(昭和47年)になり、アメリカでは国民の祝日に制定される。日本では1950年代ごろから知られるようになったが、母の日に比べると一般的な行事とは言えない。母の日の花がカーネーションなのに対し、父の日の花はバラ。ドット夫人が、父の日に父親の墓前に白いバラを供えたからとされている。

2007年6月15日金曜日

【第2クール 入院第3日】

朝6:00、看護士さんの「おはようございます!」という元気な声に起される。今日は朝一番の採血がある。
8時ちょっと過ぎ、主治医のY先生はじめ3人の先生方の回診があった。朝一番の採血の結果、白血球の値が3,100で前回に比較して上がっていない。もう少し間隔をおいて白血球の値が上がってから第2クールの点滴をした方が良い。従って今日は一旦退院をして、20日以降に再入院する。

今回の入院は何だったんだろう?退院の説明に来た婦長さんに「今日は皆さんに挨拶しないで、こそこそ帰るよ」と言う。婦長さんの話ではこのような例は珍しくないという。

自宅であせらずじっくり白血球の数値の上がるのを待つことにする。でも、白血球の数値を自分で知る手段がないのが困る。次回の入院も空振りにならなければいいが・・・と思いながらタクシーで帰路につく。

2007年6月14日木曜日

【第2クール 入院第2日】

昨日書いたとおり、明日の朝の採血待ち、今日は病院でのんびり過ごす。あまり書くことがないので 、治療以外の「つぶやき」を。

【つぶやき】
毎日報道される社保庁年金未納問題。入院して、昨日読んだ週刊誌のトップ記事もこのテーマ。聞け ば聞くほど、読めば読むほど腹が立つ。私個人は転職しなかったせいか、間違えられなかったと見え て順調に支給を受けている。しかし、積立金を納めていながら、何十年も経ってから「あなた未納よ」などといわれたら途方にくれる。なおかつ「年金をもらいたかったら、証拠書類を持ってこい」などと言われたと聞くと益々腹が立つ。 何十年前か前の領収書なんて取ってある人の方が少ないだろう。ひと頃「社保庁振り込めサギ」などと揶揄されていたと思ったら、本当の「年金振り込めサギ」が横行しているという。彼らは実にフットワークがいい。ある意味社保庁職員より優秀かもしれない?

ちょっと前、天下り先を作る目的で、いろいろな施設に年金資金を湯水のごとくつぎ込んだ挙句に経営に失敗しましたといってタダ同然で民間に払い下げたときも腹が立ったが、今度は年金記録の入力ミス、コンピュータ化するときのミスだというが、どんなシステム設計をしたんだろう。そのときの責任者の顔が見たい。氏名も生年月日も住所も間違えているらしい。入力ミスがあるのは分かるが、それをシステム的にどう防ぐか、どう発見するかだろう。おまけに頼るべき原簿やマイクロフィルムの元資料を破棄したなどと聞けばもう開いた口がふさがらない。 これを指示した人は重罪に値する。

ずさんな仕事で国民に迷惑をかけただけでなく、その修復にこれから何千億円という費用がかかることを考えると、その時の責任者はどう責任をとるのか?同様なことが民間会社で起きたらあっという間に首が飛ぶ。また、アメリカだったらこういう時の責任者は懲役刑になるという。代々の何人かの社保庁長官は天下りの渡りで何億円という民間では考えられない退職金を手にしているという。国民の金を何の仕事の対価として手にしているのか理解に苦しむ。刑務所に入るのがイヤだったら、退職金ぐらい国民に返せといいたい。阿部首相には直接の罪はなくて気の毒だが、この問題は我々庶民に直結する問題だけに、今度の参院選に影響は必至だという意見が多いようだ。このような官僚の不手際を正せない政権、政党なんて選手交代だということか?といっても、代わるべき政党も少々頼りないが。

2007年6月13日水曜日

【第2クール 入院第1日】

第2クール 再入院

先月末退院時に入院予約をしたが、昨日病院から連絡があってベッドの空きができたので13日10:00に入院してくださいと連絡があった。

今日再入院したが、偶然退院した時と同じ病室だった。入院したというより、しばらく外泊して再び病院に戻ったという気分だ。

10:00 レントゲン撮影 入院時測定(血液採取、血圧、身長、体重等)11:00 皮膚科検診(外来で予約していた)
13:00 I先生が見えて、第2クールの方針説明。本日の採血の結果、白血球が3,300とやや低い。これは前の抗がん剤の副作用と思われるので、明後日再度採血して3,500以上に戻っていれば第二クールの抗がん剤を点滴する。戻らなければ一旦退院して戻るのを待つということになる・・という話だった。

通常の白血球は4,000~5,000と下限ぎりぎりなのでこういう時は困る。退院時も4,790だったので、退院後の抗がん剤の副作用で白血球が下がったということになる。血液の中味がどうなっているか自分では全く分からないので判断に困る。

せっかく入院したのだからこのまま次のステップに進みたいと思うが・・・どうなるか。

2007年6月10日日曜日

抗がん剤治療と年齢

最近はブログの更新をさぼりぎみ・・・。時間がない?いやいや時間はたっぷり。でも、どうも書こうという意欲がわかないのである。それだけではなく、何ごとにも意欲がわかない。ぼーっとしているうちに1日が終わる。5月の末に退院したので、退院してから10日がたつ。退院当初は全身のだるさがあったが、それも徐々に抜け、今はどこが悪いということはないのだが、次の治療を待つ身としてはどことなく「気分は病人」なのである。

私の場合は無職だからそれですむが、入院中私の隣の病室の人は49才でサラリーマン現役の人がいた。その人は平日でも大事な用事があるといって、先生にお願いして外泊して仕事に行っていた。

患者のほとんどは高齢者だったが、1~2割ぐらいは40~50代の患者をみかける。私の場合も、もし49才の頃だったらどうだろうと考えてみた。例え抗がん剤治療でも、仕事を休みっぱなしというわけにはいかなかったであろう。仕事を捨てられればともかく、生活がかかっていて妻子がある以上そうはいかない。となると可能な限り、仕事の方へもある程度の重心をかけていなければならない・・・となるであろう。抗がん剤の治療をしながら仕事へもいく・・体験したから分かるが、これは結構きついだろう。仕事にも悪影響があるだろうし、治療にも支障をきたす。

私の場合はサラリーマン最終年(62歳)の春に受けた人間ドックでガン告知を受けた。最終年は仕事はほとんど後継者への引継ぎだけになっていて、幸か不幸か閑職になっていたので、会議もすべて後継者が出ればよくなっていたし、出張などもなかった。従って、誰にも遠慮なく治療に専念できた。そういう意味ではラッキーとも言えるし、人生全体からみると仕事から解放されると同時に闘病生活に入ったのだから、これほどアンラッキーなことはない。

結局は、年齢はいくつであっても、病気はしてはいけないということのようだ。

2007年6月7日木曜日

「tamyのつぶやき、闘病記・抗がん剤治療」のページ新設

5月31日に退院して、今日から2週間目に入る。退院後副作用は指先のしびれだけでその他は日々回復してきた。だるさはしばらく続いていたが、今日当たりはほとんど感じなくなった。頭は思い切ってスキンヘッドにした。坊主頭は中学生以来40年ぶりだが、風当たりが良くて実に気持いい。頭髪は抗がん剤治療が終われば、またはえ揃うそうだが、社会人ではないので場合によってはこのまま坊主頭も悪くないと思っている。ただ、まだ恥ずかしさがあって外出時には帽子が手放せない。
最近MLBを見ていると、マリナーズにもレッドソックスにもスキンヘッドの選手がたくさんいる。これもまた悪くないかもしれない。

5月11日に入院して受けた「抗がん剤治療」をこのブログに経過を記載したが、「tamyのつぶやき、闘病記・抗がん剤治療にその内容を転載した。
内容はブログのままを写したので、同じ内容。ブログは後から探すのが大変なので、後日抗がん剤の治療の様子を知りたい人が見る場合はこの方が便利だと思う。
入院中携帯で撮影した写真を何枚か追加した。今後も第2クール(6/12以降に入院)以降の治療が続くので、同じようにブログへ書いて、後日ホームページへ転載する・・・という形を続けたい。

2007年6月6日水曜日

マルチカロチンと抗がん剤

4/27と4/29で「マルチカロチンと肺がん」について書いた。マルチカロチンがガンの予防と抑制に効果があれば・・という気持で4月からマルチカロチンを購入して服用した。ところが、その後抗がん剤治療となったので、入院した5/11から服用を中断した。その理由はマルチカロチンは強い抗酸化作用をもち、その抗酸化作用によってガン細胞の活動を抑える。ところが、抗がん剤は活性酸素そのものであり、それによってガンをやっつけると聞いているので、マルチカロチンとは相反する作用で、お互いに効果を消し合うのではないかという疑問があったからである。あくまでも素人考えで何か拠りどころになる資料はないかと探していたところ、下記の本を見つけた。その中に私が探していた記述(つまりマルチカロチンと抗がん剤の関係)があったので、参考までにここに紹介したい。

「決定版!抗がんサプリメントの正しい選び方、使い方」福田一典著:南々社

【一部要約】実際にこの問題(マルチカロチンと抗がん剤・放射線治療との関係・・筆者注)を扱った論文には2つの立場があって、議論が続いています。一つは、抗がん剤や放射線はフリーラジカルを発生して、その細胞障害作用でがん細胞を殺すのであるから、フリーラジカルを消去するような抗酸化作用をもったサプリメントは、抗がん剤の作用を弱めるので摂取すべきではない、という考えです。

一方、「天然の抗酸化物質が、生体内で通常のがん治療を妨げる可能性を示唆する証拠はない」という論文も多くあります。「抗酸化剤の投与はそれが化学療法や放射線療法との併用の有無にかかわらず多くの有益な効果を示す」という記載がされています。この論争は賛否両論それぞれがエビデンスを蓄積して主張しているため、結論が出ていません。抗がん剤や放射線治療中に抗酸化剤を使用することは有益性が高いという報告があるのは事実ですが、抗がん剤の種類によっては明らかに有害である場合もあり、ガン専門医の間では「抗がん剤や放射線治療中の抗酸化剤の使用は推奨できない」という見解が主流であることを知っておく必要があります。

その他「ガンに効果があるという根拠」「酸化とは」「酸化ストレスはガンを悪化させる」「活性酸素、フリーラジカルとは」「ガンに対する有効性は」「抗がん剤治療中の抗酸化剤使用の是非に関する論争」・・・等々が解説されています。

この本の著者、福田一典氏は熊本大学医学部卒で、熊本大学医学部から久留米大学医学部、北海道大学医学部を米国Vermont大学、国立ガンセンター研究所を経て現在銀座東京クリニック院長。

世間でガンに良いといわれているが、医学的にはその効果を立証されていないサプリメントが医学的に見てどのように評価されているのかを解説している。

ほとんどのサプリメントは現段階では医学的なエビデンスを得られていないので、結論までは出ていないが、素人がどのように判断したらよいかのヒントを与えてくれる。上記の抗酸化性ビタミン(マルチカロチン)の他にβグルカン(アガリクス等キノコ類)、大豆、大豆イソフラボン、高麗ニンジン、サメ軟骨エキス、漢方薬、ポリフェノール、ミネラル、食物繊維、ニンニク、生姜、セント・ジョンズ・ワート等が取り上げられている。

↓本の詳細