2007年4月18日水曜日

禁煙は警告より自覚を!

新聞によると、「財務省の調査によると2005年7月からタバコの外箱への健康への警告を大きくしても、喫煙をやめた人は1割にとどまり、6割の人が喫煙量を減らしてもいなかったことが分かった」という(情報スクラップ参照)。

「禁煙ほどやさしいものはない・・・その証拠に私など何回もした」という小話がある。私が20代の頃、男性は10人のうち9人はタバコを吸った。会議の席は黙っていても灰皿が各席の前に置かれた。それが今は10人のうち4~5人といったところだろうか。灰皿はひとつも置かれない。時代は変わった。吸う人は肩身の狭い思いをすることが多いようだ。

今吸っている人もやめたほうがよいと自覚している人が多いようだ。でも、タバコの外箱に脅し文句を入れるような「北風政策」はなかなか功を奏しないだろう。本人が本心からその気にならなければならないと思う。自分の場合はどうだったろう・・・と考えてみた。

私の場合はタバコをやめたのがほぼ15年ほど前になるが、割合単純な動機で、NHKのドキュメンタリー放送の映像を見たことだった。実験でマウスに一定期間タバコの煙を吸わせた肺と、普通の肺を比較した映像を見て強烈な印象を受けた。タバコの煙を吸った肺は一面にタールとニコチンとで真っ黒だった。

考えてみれば、よく我が家の壁や天井を大掃除したときタール分なのか、ニコチンなのか雑巾にべっとりと黒いものが付いたのを思い出した。広い部屋でさえそうなのだから、比較にならないくらい小さい自分の肺に1日何十本ももの濃い煙を供給すれば、テレビで見たマウスの肺など比べ物にならないくらいに真っ黒になっているのだろう・・・と想像したとき、とてもタバコを吸う気にはなれなくなった。

吸いかけのタバコも捨ててそのまま禁煙に入った。禁断症状はあった。でも、考えてみれば禁断症状といっても「いらいらする」とか「落ち着かない」という程度で、麻薬のように(経験はないが)苦しいとか、痛いとか、幻覚を見るというようなひどいものではない。少し意志を強くして、タバコがうまいと思ういくつかのシーンを乗り切れれば、禁煙はそのまま続く。そのいくつかのシーンとは私の場合は【起床時、食後、会議中、宴席、ゴルフの後、風呂上り等々だった】毎日のことも、1週間、一ヶ月に一度のこともあるが、それらのシーンを一通り乗り切ることだ。

私の場合、タバコを15年前に辞めたにもかかわらず肺がんという最悪の病気に冒された。今健康でタバコを吸っている人も、今やめれば病気にならずにすむという人は多いはずだ。タバコを吸って良いことなど思いつかないばかりでなく、ガンとはいわずあらゆる病気につながる確率が何倍にも跳ね上がるのだから、1日も早く辞めるべきだという選択肢しかない。今の日本は自由だし、豊かだ。タバコをやめるという選択肢も本人が決めるしかないといえそうだ。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

tamyさん、タバコは「百害あって一利なし」と前から言われていますね。その通りなんですが、30年前、40年前はタバコは人生の中で趣向品で格好の良い嗜みくらいの考えで世の中に氾濫していました。黒沢の映画や小津安二郎の映画には必ずタバコの画面が出てきますね、今から思えばなんと不健康な事をして生きていたのか、メタボリック症候群が当時のスタイルを代表していたのですね私は家庭がタバコは吸いませんが、親父が酒飲みで、シャガ族と言われるほど、しつこい酒飲みで、宴会では最期まで残って料理の無くなった後に残るシャガの葉だけになってもまだ酔ってしゃべる人々に入っていたようです。私もそれに劣らず酒は飲みました。  52、3歳で発作性頻脈の為、酒は止めましたが、深酒の影響が癌や頻脈の原因を作ったのでしょう。酒の中には発ガン物質があるそうです。肺癌はタバコだけが原因ではなく、アスベスト、空気汚染、その他、遺伝子、まだまだ的確な原因は不明ですね。長くなり済みません、お許しください。

匿名 さんのコメント...

大さん、時代の価値観や考え方の違いはかなりありますね。昔、あの人は「酒もタバコもやらない・・」といえば、どちらかというと「くそまじめで融通が利かない」というイメージでしたもんね。だけど、大酒のみにでヘビースモーカーで90歳、100歳まで長生きの人もいるところが不不思議ですよね。