2007年12月7日金曜日

散歩道での新発見


快晴で、穏やかな陽気なので午前中の散歩は浜に出てみた。

海岸での散歩は大体松林の中の遊歩道を歩く。遊歩道は最近作られたものだが、道の脇や松林の中には思いがけず江戸時代の痕跡を発見することがある。
今日はいつもと違って松林より海側にある防潮堤の上を歩いていたら、海側にも所々にある松林の間に碑のような物が見える。堤を降りて、近づいてみるとそれは供養塔(写真)だった。防潮堤からは松の木で見えにくい所にあるので、私にとっては新発見だった。

中央の塔が古いもので、周囲は後世に沼津市教育委員会が整備したもののようだ。教育委員会が整備した碑のの説明文を読んでみると、「この塔は近辺の漁業の守護神として天保12年(1841)3月に建立した。漁業者は水難者を丁重にまつることが、豊漁と海辺の人達の幸せにつながる」という主旨のことが記されている。

中央の塔は166年間も海風にさらされたので、文字も半分ぐらいは消えかかっているが、周囲の面には当時の出資者や有力者らしき名前が読み取れる。東助郷中、西助郷中などの今は存在しない近隣の組織の名称なども書かれている。そして、「高木與三右ェ門、長橋安右ェ門、近松源内、廣瀬三郎兵衛・・・」等々いかにも江戸時代らしい先祖の名前の数々が見える。この名前を眺めていると、166年前、5~6代前の先祖達がここに集う様が目に浮かぶようだ。その人達の風貌や、チョンマゲ姿、服装、生活、等々はどんなだっただろうかと想像するのも楽しいものだ。

1年ほど前だろうか、浜の松林の中の遊歩道を散歩中、旅行者らしき人に呼び止められて「史跡の場所」を尋ねられたことが2度あった。ひとりは市役所でもらったという地図を持っており、ひとりは観光ガイドのような出版物を持っていた。その地図を見ると毎日の散歩道の5㌔くらいの間に5箇所も江戸時代以前の史跡が載っていた。

地元に40年も住んでいても知らない史跡があるなんて・・・と思いながら、その後は遊歩道から離れた物にも注意しながら歩いた結果、その後4つ発見した。今日の発見がその5つ目だった。

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